2011年02月04日

ゲスト教授・澤田知子/古代エジプトの女王になってみたい

3_MG_7381.jpg

今回のゲスト教授は、キュートでお茶目なアーティストの澤田知子さん。現在は、ニューヨークを拠点にワールドワイドに活躍されていますが、昨年末、澤田さんが帰国した際に大阪でインタビュー。澤田さんとは、僕が昔、ニューヨークに遊学していた時からのおつきあい。あらたまってインタビューというわけではないが、ちょっと聞いてみた。素朴な質問などなどを。

瀬尾:澤田さんって、みんなからいろんな肩書きをいわれると思いますが、『写真家』?それとも『アーティスト』?皆さんにはなんていってますか?

澤田:どっちでもいいと思ってるかな。よく人から聞かれるけどね、確かに。何かのインタビューとかされて、肩書きを書かないといけないんですけど、なんて書けばいいですかっ?て聞かれたら、”アーティスト”ってこたえてるかな。

写真家っていってしまったら、写真だけの作品をつくっていることになるけど、わたしは映像作品もつくってるし。木村伊兵衛賞をもらった時やICPの賞をもらったときも、あれは写真家の賞やし、でも私は写真を撮ってない、だから「澤田知子は写真家なのか!?」って書かれたけどね。

でも私はどっちでもよくて、私じゃなくて、人が写真家と、私の事を思うかどうか、だと思うし。私が特別、写真をとっていない写真家ではなくて、写真を撮ってない写真作品を作っている人って、私以外にもたくさんいるしね。例えば、瀬尾くんが私の事を、写真家だと思えば、写真家だし、シャッターをきってない人は写真家ではない、と思えば私はまた別のものだろうしね。

瀬尾:なるほどね。僕は澤田さんのこと、肩書き=澤田知子、って感じかなって思ってましたよ。

澤田:はは(笑)。そういえば、一時期は、”変装家”っていわれることもあったな。前に、『職業、
澤田知子』っていわれた事もあるし。私のなかでは、肩書きに関しては特にこだわりはないよ。

_MG_7389.JPG

瀬尾:澤田さんの作品って、澤田さん本人が作品になってますが、例えば、澤田さんが記念写真を撮ろうよ、といって、みんなで記念写真を撮る、これって作品?ではないですよね。

澤田:そこにちゃんと意図があるかどうかだと思うよ。作品だと思って撮影すれば、作品だしね。ただの記念写真だと思って撮ればそれは記念写真だし。ものづくりって、そんな感じじゃないかな。今回も瀬尾くんが私の写真を撮ってくれたけど、瀬尾くんが今回、作品なんだと思って撮影していたら、それは瀬尾くんの作品だろうしね。

瀬尾:澤田さんが写っているけど、僕の作品っていうのは何か面白いですね。でも、自分自身が作品って不思議な感じですよね。年齢を重ねるごとにまた違った自分が作品になっていくわけで。自分の成長記録みたいなところもありそうだし。

澤田:そうやね。19歳から自分を撮り続けてるしね。篠山さん(篠山紀信)には、セルフポートレートだけど、身体を使ったドキュメンタリーだ、っていわれたことあるけど、作品を見返していても、19歳の時から現在をみてみても、10数年違うけど、そのときの流行であったり、風潮であったりがみれて面白い。お化粧とか、服とか、たった10年でも全然違うなと思うしね。その時代の女性が分かるよね。これから何十年と作品をつくり続けていくといろんなその時代の女性がわかるやろね。

瀬尾:そうだ。澤田さんの”野望”ってなにかありますか?

澤田:野望ってどんなん?でもな、わたしニューヨークにいってから野心がなくなったからな〜。すっかり性格がまるくなってしまって(笑)日本にいた時のほうが、目標というかこういうふうにしたいっていうのがはっきりあって、で、それがほとんど達成したからっていうのもあるんだろうけど。あとは年齢的なものもあって、もうちょっと年齢を重ねてからではないととれない賞であったり、展覧会であったりするから、そういうのもあるのも関係してるのかもしれないけどね。

今はどっちかといえば、続けていくことの難しさも分かったし、今は、たくさん応援してくれている方もいるし、そのありがたい状況を、これを100パーセント取り組むことで、応援してくださる人に返せればとも思うし、その人たちに喜んでもらって、その流れで大きな美術館で展覧会できたらいいなって、思うな。

前は、どっちかといえば、この賞をとりたい、とか、写真集をだしたい、とかわりと物理的な、野望というよりかは、目標というか希望があったね。

そうだな〜、野望、、、ね〜。あっ。あった!人生の最後の夢というか、”孫の手をひいて澤田知子美術館のオープニングにいく!” 。それが終わったら今のところその後にしたい事ってないかな(笑)

_MG_7409.jpg

瀬尾:ちょっとこんな質問します。例えば、『魔法のランプがあるとして、どこにでも行ける、なれる』となったらどうしたいですか?

澤田:古代エジプトの女王になってみたい。高校の卒業文書に『将来の夢、古代エジプトの女王』って書いたしね。だから迷わずこれかな(笑)

瀬尾:おお〜。それは是非みてみたいです。

2_MG_7398.jpg

瀬尾:ところで、今のニューヨーク生活はどうですか?

澤田:めっちゃ楽しい。プライベートを大事に、生活を楽しみたいってことがあるかな。もちろん作品制作を続けてくのはあるけどね。日本にいる時は仕事ばっかりしてて、まったくプライベートな時間がなかったんだけど、ニューヨークにきてからは、作品制作の事はもちろん、プライベートでも十分に時間をとることができていて、とても充実した毎日を過ごしてるよ。

瀬尾:いいですね。ニューヨークって街歩いているだけでも楽しいですしね。ところで、澤田さんってやっぱり人間観察ってすごくするんですか?

澤田:私、すごく人間観察してるってまわりから思われているけど、全然そんなことなくて。街歩いていても、全然まわりをみてないし。たまに街で知り合いにすれ違ったりすることあるけど、私はまったく気がつかなくて、向こうかが気づいてくれてやっと分かるみたいな。待ち合わせしても、私は見つけることできなくて、いつもみんなから見つけてもらうほうなん。だから、待ち合わせでは、見つけてね。

2_420_MG_7382.jpg

澤田知子 tomoko sawada

成安造形大学卒業。2000年のキヤノン写真新世紀の特別賞を受賞。2003年に写真家の芥川賞といわれる木村伊兵衛写真賞を受賞。2004年には、ニューヨークの国際写真センターで、『The Twentieth Annual Infinity Awards Young Photographer』を受賞後、世界的に注目を浴びる現代アーティストとして、現在はニューヨークを拠点にワールドワイドに活躍中。作品である「ID400」は、ニューヨーク近代美術館MOMAにも所蔵されている。日本では、NHKトップランナーに出演するなど、TV、新聞、雑誌と各方面から注目されている。

http://www.e-sawa.com/
http://mem-inc.jp/artists/sawada_j
posted by seo at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2010年09月23日

ゲスト教授・Mike Harris / キャニオニング、アドベンチャーにかける想い

_MG_7179.jpg

今回のゲスト教授は、群馬県水上(みなかみ)町で、日本に今人気のキャニオニングブームを作った人物であり、アウトドアスポーツ、アドベンチャーをビジネスとして成功いている会社(株)キャニオンズの代表:Mike Harris(マイク ハリス)さんです。彼のアウトドアスポーツ、アドベンチャーにかける熱き想いを聞く事ができました。

※僕が訪ねた8月後半はハイシーズンで予約いっぱいの為、キャニオニング体験できませんでしたが、10月前半にまた計画中です。

_MG_7154.jpg

東京から電車に揺られ、約3時間半、群馬県水上(みなかみ)町にやってきた。

ここ水上は昔、温泉街として栄えた街ところ、バブルの頃は団体客で大賑わいのこの街だったが、バブル後は客足が減ったのだ。しかし、そこで水上の自然を愛し、理解してきたマイクをはじめとするアドベンチャーたちの手によって、この水上は今では全国からたくさんの客をよべる一台テーマパークとして復活したのである。

_MG_7158.jpg

水上駅をでて、タクシーに乗り込むと、

『お客さん、今日は何すんの?キャニオニング?ラフティング?』

と運転手さん。

若者が水上に=アウトドアスポーツする、ということだろう。

車を走らせ5分後、マイクさんの経営するキャニオンズに到着すると平日にもかかわらず、大勢の若者や家族で溢れていた。

_MG_7205.jpg

===============================================

マイクさんが元々日本に来たきっかけはなんだったのでしょうか?

私の出身はニュージーランドなんですが、高校生の時から日本に興味を持っていて、もちろん日本語を勉強していたのですが、いつか日本に行きたかったんです。それで、ちょうどそのチャンスが大学の時にきたんですよ。92年の事でした。大学の交換留学生で静岡県の藤枝という街に、最初はやってきました。同じニュージーランドの仲間たちと勉強しながら、ガソリンスタンドに働いてましたよ。夏休みの3ヶ月を使ってね。

そして94年に卒業して、またすぐに日本に来ました。その時は白馬のスキー場で働いていました。

スキーは子どもの頃からやっていて、日本のスキー場はとても良いと聞いていたし、大学で覚える日本語以外に、もっと自由で自然な日本語をしゃべりたいと思い、山に行けば外国人はあまりいないんじゃないかってね(笑)そしたら日本語上手くなるだろうと思ったんですね。

_MG_7200.jpg

水上へはどうやって?

95年のシーズンにあるニュージーランド人に出会ったんです。彼とは白馬のスキー場で偶然出会って、水上のことを教えてくれたんです。ちょうど彼の友達がここ水上でラフティング会社をはじめたから、水上行けば面白いよと、で95年の春にはじめて水上に来ました。

そして、そこの会社で働き始めたんです。電車から降りたら、山に囲まれて、川が流れていて、ここでラフティングを体験したら、すごい!と、ここは世界的レベルだなと思ったんです。それから、3シーズンくらいですかね、彼の会社で働いて、日本のオフシーズンとかは、世界各地でラフティングのガイドとかやっていたんです。98年からは別の会社に移って、マネージメントをやりながら、そこでキャニオニングというスポーツをはじめたんですね。

_8252010.jpg

キャニオニングってもともとはどこが発祥なんですか?

キャニオニングは元々はヨーロッパが発祥ですね。今から40年前にスペインとフランスのペルニーズという山で生まれたスポーツなんですけど、私がはじめてキャニオニングに出会ったのは、ガイドでネパールにいっていた時でした。

ヨーロッパのキャニオニングのガイドに出会って、そこでキャニオニングの技術など、ガイドのトレーニングを受けたんです。キャニオニングはすごく面白いなと思って、水上は利根川が凄くいい川なんですが、春先はボリュームがあって川が流れているんですけど、夏になるとダムの放流がとまってしまって、川のグレードが落ちるんです。

で、夏、ここ水上でもスリリングなアドベンチャーを作りたいなと思って、ネパールで出会ったキャニオニングがばっちりだなと思ったんです。水上は小さい川もいっぱいあるし、滝もあるし、これなら夏でもできるなと確信したんですよ。

2000年から、キャニオニングを本格的にやろうと思って、現在の会社キャニオンズを自営業としてはじめたんです。キャニオニングが伸びたのが、その2年後くらいでした。

_8252029.jpg

水上には若い人もそんなにいないのでは?地元の人たちの中にとけ込むには苦労もあったのではないですか?

はじめて来たのは、95年だから、まあバブルがはじけて5年くらいだったのかな。それ以降は山に遊びに来る人の人数も大幅に減ったんですね。温泉客も団体客が下がってきているっていう、そんなタイミングだったんです。若い人には温泉旅行はあまり人気ないから、どちらかといえば、お年寄りのマーケットが多かったんですよ。

僕は地元の人からは最初、変な目でみられていたと思いますよ。なんだ、この不良で長髪の変な外人が変なことをやり始めたってね。危ないな〜とかね、そういうリアクションだったんです。何でも新しいものはそういう反応があると思うんだけど、だけど、年々とここで暮らしていくと皆さんと友達になってね、地域の祭りにも参加したりして、距離が近づいたっていうことはありますね。そして、アウトドアブームってこともあって、20、30代のお客さんも増えていったんです。

夏一番多いときは、1日4000人以上はここ水上にアウトドアをしに来るんですね。ハイキング、ラフティング、キャニオニング、カヌー、パラグライダー、バンジージャンプ、マウンテンバイク、水上はほんといろいろ楽しめるんですよ。最近では家族づれも増えてきてますね。また元気な街に戻ってきているんじゃないかなと思います。

_8252048.jpg

素朴な質問なのですが、山、川って誰かのものだったりするんじゃないですか?

それはね、結構大きいポイントになってるんですけどね、個人の所有のところもありますが、水上は国立公園とか、国有林が多いんですね。日本は残念ながら、アウトドアに関するルールがあまりないんですよ。良いも悪いも、オペレーターからすると、こういうビジネスをはじめるのは凄く簡単。川は誰でも利用していいっていう事になっているんですよ。

はじめやすいっていうのは良い事かもしれないですが、誰にでもできちゃうっていうのが良くないんですね。安全性の問題とか、クオリティーの問題とか、自然保護の問題とかにつながっていくからです。持続可能なツーリズム、この先50年とか100年後でも今と変わらずいい状況が保っていられるとか、それ以上に良くなっているとかそう考えないといけないのですが、日本は今すごく悪循環になって、オーバーユース(使いすぎ)の状況になってきてます。

良い資源がいっぱいあるけど、使いすぎてしまうと、ちゃんと管理しないとなくなるし、今はそういう状況に近づいてきているんです。今まさに、時代が動かないといけない時期に入ってきたんじゃないかと思います。

アウトドアはとてもリスクもともなう。人の命を預かって、ツアーをやるんだったら、自分たちでただ遊んでいるのとは全然違うと思うんです。日本でそういう法律はできてない、だから早めに何かしないといけないですね。

92年頃は日本には、ラフティングなどを経営する会社なんて日本で3、4社くらいしかなかったのに、今は150社以上、水上だけで10社あるんですね。大げさな事をいうと瀬尾さんも明日、ここ水上で起業しようと思えばできますよ。

会社同士で縄張りとかないんですか?

ここ水上では、組合をつくって、最低限の安全基準を守ってやっていきましょという事になってるんです。だからといって、法律ではないので守らなかったからどうこうなるって話ではないんです。だから、そこの整備をなるべく早くやっていかなければいけないと思っています。

_MG_7177.jpg

マイクさんがこのキャニオンズを経営するうえで、心がけていることはなんでしょうか?

やはり、家族連れだとか、20代、30代の個人客、求めているマーケットがそれぞれ違うと思うんですが、そのマーケットにあったものを提供するのが一番ですよね。例えば、こどもは凄く喜ぶけど、大人は、「なんなんだこれは、簡単すぎるよっ」てなっちゃうでしょ。だからまず内容作りだとか、この内容なら、この人たちに満足するねって、こっちの人たちだったらこっちが満足するねと、1つ大きなシステムづくりが大事ですよね。

例えば、うちの場合、半日コースは4つあるんですが、普通のコース以外にも、じゃあこれはファミリー専用コース、ちょっとスリリングなコース、とかね、お客さんのニーズにマッチする事は重要ですね。あと、微妙な調整はガイドの腕ですね。怖いけど、水上に挑戦しにきた人も多いわけです。でガイドの腕でその人が挑戦して、その怖さを乗り越えて、達成感にみちるという事をあじわってもらう、そういうところが本当、ガイドの腕にかかっています。

なので、ガイドはかなりレベルの高い良いガイドを使わないといけないです。ガイド経験がまず必要ですし、トレーニングをしっかりしてい事、顧客の満足度を上げられるエンターテーメント性などがしっかりある事。必要な要素です。

結構みんなツアーをしに来ているっていうよりは、自分の心を、自分自信を試したいっていう人が多いですよ。アドベンチャーっていうのはそうですよね、一歩先を挑戦するっていうね。リフレッシュしにくる、非日常を体験しにくる、特に都会に住んでいる人は毎日の決まった都会のパターンだから、本当にスカッとする開放感を味わいたいんですね。大自然の中に入って、奇麗な水に入って、自分がまだやったことのないチャレンジをしたい。

人によっては、飛び込むのに、1Mで怖い人もいれば、10Mを飛び込むのは大丈夫な人もいるしね。上手いガイドは、人の顔をみれば、この人は強がってみえるけど、本当は怖がっているから、もう少しやさしくして、大丈夫なように誘導したりね、上手く誘導できる人ですよね。

挑戦心を大事にね、ほんとこれに挑戦できたら、その人は成長する。達成感ですね。自分が今日はすごい事できたっていうね、自分的にはすごく成長したなっていう感じすれば、いいなと思っているんです。毎日のツアーはそういう想いでやっています。

_MG_7163.jpg

こういうアウトドアスポーツ、アドベンチャー事業を経営、運営していくのって何が大事な要素なんでしょうか?

そうですね、Sustainability(持続可能性)が大事だと思います。それは4本の柱からできているんです。

1つは、クオリティー。低コストでってことは良くないですよね。レベルの高いガイドを使って、良いものを提供する。

2つめは、地域にメリットをもたらす。お互いに全部つながっているから、それを考えながらね。例えば、水上の場合は温泉もあるし、宿泊パックなんかくんだり、ここでこうすれば、ここが安くなりますよとか、いろんなメリットを組み込んでね。地元を高揚しようとかね、そういう気持ちですよね。

3つめは、自然保護。今、こんな楽しいことができるのは、この自然があるから。そのままの状態でキープしないと。

最後4つ目は、収益をもたらさないといけない。収益がないと新たな投資とか、もっとこうしようとか、もっと良くしようとかできないからね。水上はとても東京からアクセスがいいんですよね。人口が多いところから、水上にきてくれる。凄くいい環境なんですね。地方でもとてもいい資源を持っているんだけど、中心地から行き着くのに半日かかるとか、そういうところだったらビジネスとしては上手くいかないよね。

はい、これら4つがないと上手く持続できないと思います。

_MG_7195.jpg

マイクさんの今後の夢や目標を教えてください。

そうですね。キャニオンズ(会社)としては、日本のアウトドアスポーツ/アドベンチャーのリーダーになりたいですね。基準もしっかり、継続可能な体験をできるように、日本全国で展開していきたいです。

多くの人にリフレッシュできるものを広めていき、みんなに開放感をあたえたいですね。そしたらみんなやる気になるし、体験後、現実社会に戻った時に、周りの人たちが、「あっリフレッシュしてるな」っていうね、そういう体験をした人は周りにも気持ちが伝わると思うんですよね。

だから日本社会をリフレッシュできればいいかなと思いますね。水を、自然を大事にしましょうと、50年後、100年後も同じ場所で同じように、次の世代が遊べるようにしていきましょうとね。まだまだ挑戦していきますよ。

キャニオンズHP:http://www.canyons.jp/
※先月8月ガイヤの夜明け出演。
posted by seo at 11:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2010年09月12日

ゲスト教授・高橋純/洋服は “誂(あつら)える” もの

2_MG_4997.jpg

創業1903年、銀座で一番古い注文洋服店。

今回のゲスト教授は、洋服づくりのプロフェッショナル、銀座 高橋洋服店のご主人、高橋 純さんです。

高橋さんは、いつもカッコいい。僕はお店に何度か足を運んだがいつも、高橋さんの服装をみるのが楽しみだ。こんなビシッとカッコいい姿になりたいと本当に思う。

銀座の街を歩くならこうでなくちゃってね。そう思わされる。洋服にこだわる高橋さんは、自身の考え方や生き方、銀座で商いをする意味へのこだわりにも模範的な人だ。

ところで、洋服(スーツ)って作った事ありますか? 僕はない。というか、恥ずかしながら、洋服って作れるんだと、高橋さんに出会ってからはじめて知った。スーツはどこかの店で買うものだと思っていたんだから。

_MG_4992.jpg

早速ですが、高橋さんは、若者の洋服についてどういう風にみられているのですか?

基本的に男の洋服(ジャケット、トラウザーズ、シャツ、ネクタイをつけるような)ってね、デザインとか極端にいえば、ファッション(流行)っていうのはないものだと思っているのね。

洋服に対して、こういう言い方をするのは良いかどうか分からないのだけど、僕がよくいうのは、「正しい洋服」と「正しくない洋服」、よくいわれる、イタリアンだとか、ブリティッシュっていうのはなく、イタリアンだって正しくない洋服もあるし、ブリティッシュだって同じ、最終的には、イタリアンもブリティッシュもいくつくところは同じで、『正しい洋服=良い洋服』と『正しくない洋服』しかないと思うのね。男が仕事で着る洋服っていうのは1種類であって、モード系(デザイン性の強い洋服)を着てはいけないっていうのが僕の考えなんです。

服飾の専門学校で、メンズ科っていうのがあるんだけど、ほとんどみんなモード系の洋服しか教えてないんですよ。結局我々が着ているようなちゃんとした背広、スーツっていうのを縫える職人さんがいなくなってきているんですね。まあ、そんなこともあって、8年前に小さな教室をはじめたんだけどね。

はたして、一般的に若い人が着ている洋服が正しいか、正しくないかっていわれると、いろんなところで勘違いがあって、あまり正しい洋服を着ている人がいないと思うんだね。オシャレをするって事と、正しい洋服を正しく着るっていうのは、別問題のような気がしますよ。

2_MG_5906.jpg

”正しい洋服”ってどういう意味ですか?

洋服ってね、あまりいじってはいけないものだと思っているんです。流行は本来なら、ない。デザイン性の入ってくる余地もないんです。デザインっていうのは、例えば、女性の洋服の袖の格好が、Aというワンピースと、Bというワンピースと全く違う。スカートの格好が全く違う。右袖が半袖、左が長袖で1枚の洋服だって通用するわけじゃない、それがデザインという名のもとにあれば。

男の洋服っていうのは、150年前からあの格好をしているわけ、これを基本的にはいじってはいけないんですね、それを今の若いコが着ているスーツは特にちょっといじりすぎているような気が、僕はするんだな。それは、ボタンの位置が高くなったり低くなったり、襟幅が広くなったり、狭くなったり、肩幅が広くなったり狭くなったり、ズボンが細くなったり、太くなったりね、多少トレンドによって変わってくることはあるけど、それはまた "デザイン"っていうのとまた違うような気がする。

ズボンの丈が長くなったり、短くなったりは本来はすべきではないんです。ところが、物凄く短いパンツを履いてみたり、とても長いズボンをはいてみたり、パンツの丈には正しい丈っていうのがあるはずなんですよ。だからそういう意味で若い人たちが着ている洋服っていうのはいじりすぎちゃっているのかなっ、ていう気が僕はずっとしているんです。正しい洋服っていうのは、そんなにある日突然、長くなったり、短くなったりしないものだと思っているし、すべきではないと思ってます。

やはりビジネスとして、様々な企業がそれなりにいろいろ仕掛けていかないとビジネスとしてなりたっていかないわけだから、そういう意味では最近では、ファッションという名のもとにいじる傾向にもあるのかもしれないけどね。しかしそれが果たして我々のやっている洋服づくりで必要かどうかは分からないですね。

_MG_5917.jpg

高橋さんは、職人としての顔と経営者としての顔、2つの顔があると思うのですが、それぞれモットーのようなものありますか?

経営者として、職人として2足の草鞋を履いている者として、根本的には同じだと思います。いかにお客様に良い洋服が提供できるかにつきますね。よく「経営者と職人の両立は難しいんではないですか?」って言う人もいますが、同じだと思いますよ。大企業でもないしね、ちゃんとした仕事をしてお客様に喜んで頂いたら、また次の注文につながるわけなのでね、お客様にとって良いものを提供するという事だけです。

良く、うちのスタッフには言ってますが、注文洋服屋なんだから、お客様のこういう洋服を作って欲しいとおっしゃるような洋服を作って差し上げなさいって。ただ、その中で自分のところの洋服、高橋洋服店の洋服という、アイデンティティだけは失わないようにしなさいよって、どこかでうちの洋服なんだよってわかる洋服にしなさいよって言ってます。だから、あんまり我々の洋服作りの基本とかけ離れている注文がきてしまったらお断りしてもいいよって伝えてあります。

あとはね、僕はよく思うんですけど、銀座の商人として、銀座の他のお店にご迷惑がかからないような商売をしたいと。これは僕の基本的なスタンスなのね。銀座っていう街で一軒変な事をすると、銀座のあそこのお店は駄目だと誰も言わないで、「銀座も駄目になったな〜、あんな店もあるぜ」って言われて、銀座全体が駄目になっちゃうのね。

銀座って他の繁華街よりも地域社会がしっかりしていると思っているのね、僕はたまたま銀座の商店街のお手伝いを少ししている人間として、いつもみんな(お店やビルのオーナー)にお願いしているのは、とにかく商店街の集まりに参加してください、と、とにかく顔が見える商売をしましょうと。

顔が見えないと、どうせ俺が何やっても誰も知らねえから、何やってもいいやって気になってしまう。ただ、顔が分かっていれば、なかなかおかしなことできないじゃない。面が割れちゃってるから、悪い事できないんだよって気になるだけでも違うと思うんだよね。そうであれば街って良くなると思うんだよね。違法看板も出せなくなるしね。顔がみえるような商いをすれば、それだけで、街の安全というか、風紀って守っていけると思います。

_MG_3785.jpg

洋服づくりの一番の楽しみや面白さ、この仕事をやってて嬉しかったことなど教えていただけないでしょうか。

職人冥利につきるのは、お客様に「高橋さんが良いっていうんだったらそれがいいよ」って言っていただけるのは、「おっ、やったあ」って気持ちになりますね。

あとね、昔、地下鉄に乗ってて、本を読んでいたんですが、パッと前みたら「あっ!うちの洋服だ」って。紺の無地の洋服だったんだけどね、顔をあげるとうちのお客様だったの。それはどういう事かっていうと自分の洋服にちゃんとアイデンティティがあるって事なのね。全体的なスタイルもそうだけど、ポケットのカタチとか、フロントのカットとかね。お客様が作りたいとおっしゃった服を作った中でも、自分の店のアイデンティティはちゃんとでている。嬉しかったですね。

もう1つこれに似たような事あるのだけど、これまた電車の中だったんですが、同じ車両でかなり向こうに座っている紳士が下向いて本を読んでいたの。実に良い洋服着ているんだよ、で、「いいな〜俺もああいう洋服つくりたいなー」って、しばらく眺めていて、ふっとその人が顔をあげたらうちのお客様だったの。これもかなり自信がつきましたね。自分で作りたい洋服ができているって事ですからね。

この2つのエピソードっていうのは、自分の人生の大きな喜びなんですよね。自分の作った洋服にアイデンティティがあるっていうのと、自分が作りたいなって思う洋服が出来始めているっていうね。作り手として凄く嬉しい事ですよ。

注文服ができるまでの工程はこちらからご覧になれます。

2_MG_3722.jpg

モノづくりをしている沢山の若い人たちに何かメッセージをいただければ。

やっぱり「軸」ではないですかね。自分が何をしたいんだっていうのがブレてないようにする。まあ、若い頃っていうのは暗中模索でいろんな事に挑戦しないといけないと思うのだけど、ある点に到達したら、その軸ブレないようにね、それにいろんなモノを肉付けしていくのは良いけど、軸がブレたら、肉付けもへったくれもないわけだからね。

あとは、マスターベーションで終わらない事だね。自己満足で終わってしまったら誰も評価してくれないわけじゃない。死んでから大評価をうけるかもしれないけど、今の時代 ”武士は食わねど高楊枝”ってわけにはいかないんですよ。やっぱりモノづくりをする人は、他人から必要とされないといけないと思いますよ。

_MG_3801.jpg

_MG_5940.jpg

_MG_5849.jpg

今後の高橋さんの夢、目標など教えてください。

そうねえ。

洋服って買うもんだと思っている人が多いんだけど、洋服って買うもんじゃないんだよ、“誂(あつら)える物” なんだよね。そういう意味ではね、洋服って買うもんじゃないんだよ、誂(あつら)える物なんだよっていう、布教活動みたいなものができればいいなと思います。

で、「あそこにいけば何でも相談にのってくれる」っていう洋服屋になりたいですね。お客様に言われたものを作るだけではなくて、なんか相談にのって差し上げられる、そう、駆け込み寺のような洋服屋になれればなと思いますね。あそこに相談にいけばかっこ良くしてくれるよってね。そしてもっと日本人をオシャレにしたいよね。

そういえば、うちの息子は今ローマに服作りの修業にいっているんだけど、この間、おもしろい事言ってたんだよ。ローマも背広着ている人はかなり減っちゃったけど、その代わり、背広着ている人は、”いい背広” を着ているって。ほう、そうなんだと思ってね。

極論からいえば、僕は今後、日本人が背広を着なくなればいいと思うのね。みんなして背広着なくていいじゃんってね。そのかわり、せっかく背広着るんなら” 良い背広” を着ろよっていう時代がきてくれるといいね。そんな時に、背広ってそこらの店にパッといって298(ニーキュッパ)で買うものではなく、誂(あつら)える物なんだって、そんな風潮になればいいなと。和服と同じですよ。和服は100%オーダーでしょ。それは中古品であったりお下がりもあるけど、新しく手に入れるには、1から作るわけだから。だからせっかく着るなら、本当に背広を着ることに喜びを抱いていただけるような、そんな世の中にしたいなと、本気で思いますよ。

何回もいうようだけど、洋服って買うもんじゃないよ、“誂(あつら)える” 物なんだよって、世の中の人に徹底できればいいなって思います。それが僕の夢であり目標かもしれないな。

高橋洋服店HP:http://www.ginza-takahashi.co.jp/(This website is powered by HABITUS
posted by seo at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2010年07月19日

ゲスト教授 Francois Bellet ・ 詩人(Foundation A.B. Picasso 代表)

2_MG_9263.jpg

今回のゲスト教授は、Foundation A.B. Picasso 代表 の Francois Bellet さん。

ピカソの元で長年働き、ピカソの事をよく知る人物の1人であり、現在では若手アーティストをサポートする立場の Francois 氏。来日中の彼にお話をうかがった。

紹介するのに、肩書きはどうしましょう?と訪ねると「詩人」にしておいてくださいと、Francois 氏。やはりいうことがカッコいい。

3_MG_9237.jpg

Francoisさんは今までにたくさんのアーティストに会われていると思いますが、世界的にみて今の日本のアーティストについてどう思われますか?

危険な立場にあると思います。日本にはヨーロッパや他大陸の人間のようなストレンジャーがいません。大陸と比べると根本的に閉ざされた文化で、人種の混じりっけのない社会です。勤勉で、調和がとれるのが日本人の特徴だと思いますが、これは社会にとってはとても良いことかもしれませんが、アーティストにとっては良い作品が生み出されるには少し難しい場所でもあると思います。そういう意味で危険な立場にあると思います。

もちろん日本人の中にも世界で活躍している素晴らしいアーティストがたくさんいます。私が思うには、日本のアーティストは海外にもっとでて可能性をみつけていくか、もしくは中途半端に海外のものを取り入れることなく、日本独自の素晴らしいところに自信をもち、もっとそれを磨き世界に発信していくことが必要ではないでしょうか。そうすると浮世絵のようなヨーロッパに与えたインパクトと同じようなものがでてくるのではないかと思います。

2_MG_9220.jpg
「おいしい書道」に参加。とても繊細な文字を書いてました。

アーティストに必要な事ってなんだと思われますか?

好奇心。これはとても大切だと思います。あと、とても大切なことは良いパートナーに出会う事です。良いアーティストには必ず良いパートナーがいます。アーティストは1人ではいきていけません。とても難しい世界なんです。私も沢山のアーティストに会ってきましたが、多くの人が1人ぼっちです。その中に天才的な人も多いのですが、良いパートナーがいないために、つぶれていっている人も多いのです。良いパートナーに出会う事、これはアーティストにとって本当に大切な事だと思います。

2_MG_9272.jpg

Francoisさんはとても純粋な目で丁寧に話をしてくれた。

そして最後に、世界に羽ばたけ、と僕にいってくれた。

詩人からのそのメッセージ。
ありがたく受けとめたい。
posted by seo at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2010年06月18日

ゲスト教授・一倉 宏/ことばの快感

bw_MG_0422.jpg

ある日の昼下がり、赤坂にある一倉広告制作所を訪れた。
デスク前のおおきくて、やわらかい光がきもちいい。

今回のゲスト教授は、コピーライターの一倉 宏さんだ。

先日読んだ、ある日の一倉さんのブログに、

『10才の頃はクルマが好きだった。 15才の頃は宇宙が好きだった。 18才の頃は詩が好きだった。 けれどそれよりも女の子が好きになった。 こう書けば私というものをほぼ言い当てている気がする.....』

と書かれてあった。

そう書かれれば、なんとなく一倉さんがどんな方かわかるような気もするが ... よし、その辺りを聞いてみよう。

bw_MG_0421.jpg

子どもの頃はどんなお子さんだったのですか。

背が小さくて運動があまり得意ではなかったですね。でも、普通に子どもっぽい、やんちゃな遊びはしていたけど。わりと凝り性というか、何かにはまりだすと、どんどんその世界に入っていって、果てしなく妄想が広がっていくような子どもでした。

bw_MG_0378.jpg

ブログの中で書かれてましたが、車、宇宙、詩へと興味の中心が変わっていかれたのってどういう流れだったんでしょう。

まあ、男の子なら小学生が車が好きなのは普通かもしれないよね。で、宇宙はそうだな、子どもの頃に宇宙の本、図鑑みたいなものを読んで、宇宙ってどうなってるんだろう?ってね、自然に興味をもちはじめました。中学の時に天体望遠鏡を手に入れたんだけど、そんな事からもいろいろと想像力が広がっていってね。宇宙には果てがないとか、天の河っていうのは沢山ある銀河のひとつで、地球ってその中の小さい星くずみたいなもものにすぎないって、ものすごく刺激的じゃないですか。宇宙へは本当に果てしない感動がありましたね。

そして高校生になって、どういうきっかけだったのかは分からないのだけど、「詩」というものを読むようになったんです。そのときの感動っていうのは、宇宙への感動と似ているんですね。今思うと「詩」というものを体験して、宇宙に似た、ぞくぞくするような快感と、底なしの恐怖感のような感覚を味わった記憶がありますね。

特に影響をうけた作家さんっておられますか。

そうだね、最初に衝撃を受けたのは、谷川俊太郎さんかもしれないね。谷川さんのデビュー作は「二十億光年の孤独」っていうんだけど、感動しましたね。谷川さんも車や宇宙が好きな少年だったらしいですね。

bw_MG_0448.jpg
本棚には難しそうな本がたくさん並んでいる。

ことばが持つ「ちから」って、一倉さんはどういうふうに考えてられるのでしょう。

そうね、まず、ことばにしてもそうだけど、音楽や絵にしても、瀬尾さんのように写真にしてもね、1つのコミュニケーションの道具ですよね。

例えば、音楽っていうのは、作るのは難しいけれど、聴き手として誰でも感動を体験しやすい分野ではないかと思うんです。絵や写真なんかもそうかもしれませんね。

でも「ことば」となると、音楽や視覚芸術に比べて、「ことば」そのものに感動する機会って少ないかもしれない。小説などのストーリーは別として。日本人は、詩ってほとんど読まないし。使う、作るって事からいうと、ことばは絵画のように絵筆を使わなくても表現できるし、写真のようにカメラなくても表現できるものだから簡単なんだけど、簡単なだけに一番使われていない道具というか、そんな気がしますね。だけど、ことばが持つちからっていうのは音楽や視覚芸術に負けないくらい、人に感動をあたえるちからを持っていると思っています。

僕が思う「ことば系」としての最大の表現者っていうのは、シンガーソングライターだと思うんです。本当は自分に音楽の才能があればシンガーソングライターになって伝えたいというのがあるんですけどね。ライブなんかでね、自分の発したメッセージが人に伝わっているかどうか分かるし、何よりも感動っていうものを他の人と一緒に体験できるっていうのは本当にすごいなと思いますよね。僕のような物書きっていうのは、なかなかそのライブな感動を共有しにくいですからね。

なるほど、一倉さんの憧れの存在っていうのは、シンガーソングライターなんですね。

そうね。誰かに夢は、ってきかれたら、武道館ライブってね。あそこは表現者にとっては最高の舞台なような気がするけどね。

bw_MG_0430.jpg
ギターにレコード。シンガーソングライターが憧れだという一倉さんの夢がつまっている。

「きれいなおねえさんは、好きですか。」という、誰もがみんなが知っているこのコピーも、「やはり何より女の子が好きだった」という、一倉さんの少年ごころが現れているんでしょうか。僕はそのコピーを耳にしていたのは、ちょうど思春期の時でしたが、ほんと素直にその問いかけに対して、「はい、すきです」と心のなかで返事してました。

普通は女性の美しさをいう言葉は同世代目線だったり恋人目線だったりでいろいろあるのだけど、あの時はもっと広い視野でみてみようと思ったんです。

いろいろ考えてみてね、きれいなおねえさんって誰でも好きなのではないかなと思ったんですよ。幼稚園の子どもでも好きだし、おじさんたちも勿論好きだしね。女性に対してもとても共感しやすい言葉だなって。僕もそうだけど、多くの人にとって、きれいなおねえさんって憧れの存在だと思いますよ。

2_MG_0450.jpg
斉藤和義のCD集がずらり。僕は一倉さんの作詞した斉藤和義の「ウェディングソング」が好きだ。ホント、心にじわっとくる。

今の若者のことばの扱い方ってどういうふうにみられていますか。

昔から、若者がことばをカジュアルにしてゆく傾向はあるから、違和感を感じたりはしないけどね。僕らの世代もやっていたしね。でも今のことばの使い方で大きな点でいうと、ことばのコミュニケーションがメール中心になってきているところですね。それってどうなのかなっていうのは最近思います。

メールってすごく情報量が少ないと思うんですよね。ついあたり障りにない表現になって、感情とか背景にある気持ちとかが伝わりにくい。

直接会って話せば表情がみえるじゃないですか。雰囲気で相手とも対話できるし、こうきたからこう返すみたいなね。電話でもそうですよね。顔はみえないけど息づかいや言葉を発するタイミングであったり何かと相手の事が分かりやすいですよね。

そういう意味では、今のメールのやり取りは確かに便利な方法だとは思うんだけど、友達や恋人との間はなかなか深まらないんじゃないかなと思いますね。誤解もあるかもしれないし、本心が分かりにくいというか。だから今の若者のメール中心のコミュニケーションには少し心配するところではあります。

bw_MG_0445.jpg
一倉さんのペット、亀吉くん。

ちょっと話は変わりますが、一倉さんが最近見た、美しいな、と思う景色ってありますか。

最近ねえ、仕事での移動しかしてないからなあ。いつのってことはないんだけど東京でも時々、空が凄くきれいなときがあって、星座がみえるんだけどそんな時は感動しますね。東京で星座がみえるって嬉しいかな。

最後に、一倉さんがやっていきたい事、挑戦してみたい事などあれば教えていただけませんか。

ことばでこの先なにができるだろうっていうのが楽しみですね。何か新しいことができればいいなっていつも思います。例えば、歌でもなく本でもなく、特定のジャンルではなく、ことばの表現ができたらいいなって思います。

本当に自分にとっては、ことばを考えている最中が一番楽しいんだよね。ホント快感なんです。人それぞれ快感が味わえるものってあると思うんだけどね。でもそういった快感って、人間にとってとても大切なものだと思います。だからその快感をこの先も変わらず味わっていきたいなと思います。

-----------------------------------------------------------

ことばの快感か。

一倉さんは心の底からことばが好きなんだな、と思う。「ことばの快感」を本当に知っているからこそ、相手に届くことばを贈ることができるのではないだろうか。

ことばには疎い僕だが、一倉さんのいわれる「快感」を今後味わう事ができたら嬉しい。果てしない、底なしの感動を求めて、ことばともっと触れ合ってみようと思う。

一倉さんはもう究極をいっている、

「ことばになりたい」

って。それってすごい。

bw_MG_0385.jpg

一倉 宏 (イチクラ ヒロシ)       

1955年、群馬県生まれ。コピーライター。78年、サントリー株式会社に入社。90年より独立して事務所を設立。広告コピーの代表作として、サントリー・モルツ「うまいんだな、これがっ」、ソニー・ウォークマン「哲学するサル篇」、松下電工「きれいなおねえさんは好きですか」など。齋藤和義の「ウェディングソング」など、作詞家としてもミュージシャンに作品を提供している。

http://www.1-kura.com/
posted by seo at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2009年02月22日

ゲスト教授・原田伸郎/自分らしく、頑張らないで、ベストを尽くす

2up_2096845.jpg2down_2096845.jpg

のぶりん こと原田伸郎さんにお話を聞いた。
タレント、歌手、俳優、京都市観光大使、そして最近では書家として、活躍中の のぶりん。

この日は、目黒のスタジオで3月24日(火曜日)に六本木スイートベイジルで行なわれる、あのねのね のコンサートのリハーサル。リハ中も清水国明さんとの名コンビは健在でたくさん笑わせていただきました。

あのねのね といえば、70年代に一世を風靡した伝説のフォークデュオ。

名曲『赤とんぼの唄』や、その他多くのおもしろソングが、来月、復活する。

up_2096766.jpgdown_2096766.jpg

★☆★

曲作り、番組作りで心がけている事ってなんでしょう?

そうね。人の真似をしたくない事かな。今までになかったものをつくりたいっていうか、既成のものを壊したいっていう感じかな。おお〜!それははじめてやな〜っていってほしいよね。

up_2096772.jpgdown_2096772.jpg

セルフプロデュースという形をとり、ウラハラ藝大の教授は個々が活動しているんです。個人が発信していくこの時代、のぶろうさんどう思われますか?

個人がそれぞれ個性をもって、それぞれ違った光り方をしていく、それが一番いいのかもね。組織の中でね、結構同じ色に染まらないといかんのかなあっていうの思ってしまうかもしれないけど、そうではなくて、それぞれがいろんな色になってこの中(組織)に入っている。24色のクレヨンの様に。それだとね、そのクレヨン1式をみてても楽しいし、ワクワクするし、刺激にもなるよね。いつも人のものをみて真似るっていうかね、そうなってしまったら、面白くないしね。

最初はもう、『真似るは学ぶ』やからね、、、真似ねていいんやけど、そこから自分でどうアレンジして、自分らしく、そう『らしさ』みたいなのがでるといいわね。『らしさ』っていうのは、無理していないからね。『らしく』している人は、僕はすごくいいなあって思うね。

up_2096743.jpgdown_2096743.jpg

のぶろうさんが、ウラハラ藝大で教室を提案するとしたら、どんな教室を提案してみたいですか?

『個性学』みたいなのかな。みんなの本当の中をみたい、自分自身知ってもらいたい。みんなそれぞれ外見がちがうように、みんな絶対中身も違うからね。それをみんな真似てきているところがあるからね、それを個性を引き出していけたらいいなあと思うよね。自分自身を知るってことはすごく大事。自分自身を知ると、こう楽になるね。突っ走っても転ばないっていうかね。自分自身知らんとね、突っ走っても転んでしまうからね。

あと、今、をやっているんやけどね。近い将来はこどもたちと一緒になって、書をやっていきたいなあと思ってるんよ。こう、決まりきった書道ではなくてね、気持ちが、感情が溢れ出す書の道が伝えていけたらなあって思います。

芸能生活において、たくさんの経験をなさってこられたと思います。若者に対して何かアドバイスをいただければ嬉しいです。

何か起こった時にどう認めるかってことかな。で、もしそのときに相手がいたら、許して、怒ったり、くそ〜っていっている時間をなるべく少なくしてね、それが本当の大人やろうな。はやく、その期間を短くできるかっていうかね。自分のなかで消化できるってことが、やっぱり、かっこいいし、イキやしね。

そういえば、イキな人って、そういう人って最近少ないね。男の人にしても、女の人にしてもイキなのってみないね。それは、こう覚悟ができて、受け止められて、人を許せてっていうね。そうなりたいなって自分自身も思うんやけどね。

up_2096812.jpgdown_2096812.jpg

これからの目標などあれば、教えてください。

そうやね〜 イキやね。息をしっかりして、そして生きる。イキイキやね。力強く息をして、イキに生きる。イキイキイキ。それと、まあ『らしく』やね。頑張らないで、ベストを尽くす。頑張る事と、ベストを尽くす事は違うからね。頑張るっていうのは、どこかにムリがあるよね。

自分を知ると自分のベストがどこかっていうのが分かるから、自分のベストを尽くす。だから、ムリがないから、長く続けられるしね。頑張る事と、ベストを尽くす事は違う事が、最近分かってきたんよ(笑)ベストのラインを自分で分かると、がむしゃらにもできるしね。でもやっぱりチャレンジ精神を忘れずにね。ワクワクしていきたいね。

どうですか?自分自身わかりますか?
posted by seo at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2009年01月19日

ゲスト教授・建築家・青木茂 〜そこがターニングポイント〜

2up_1095633.jpgdown_1095633.jpg

リファイン建築の先駆者である建築家の 青木 茂 氏に話しを聞いた。

常に現状に満足せず一歩一歩前進していく姿、そう、
すべてはそこがターニングポイントだ。

2up_1095629.jpg2down_1095629.jpg

建築家になるきっかけは何だったんでしょう?

建築家を志そうと思ったきっかけってなかったんですよ。

大学を卒業して建築会社に入ったんですよね、で、そこで働いている人をみていると大体先がみえたんです。30歳なったらああなって、40、50になったらああなってってね。

その時に若干こう楽しくないだろうなと思ったんですよね。その頃、私の親父は土建会社を経営していたんですけど、私に後を継げと、、、そんなこともあって8ヶ月でその建築会社やめて実家に帰ったんですよ。

土建業ですからもちろん土方をさせられたわけですよね。結局は4年間やりましたけど(笑)、半ばくらいからね、これはもっと面白い事できるんじゃないかなあって漠然と思っていたんですよ。いえ、仕事自体はすごく面白かったんですよ、体動かすの好きだったしね。

up_1095570.jpgdown_1095570.jpg

それであと継ぐのやめるっていってね、私、昔から少林寺拳法やっててね、少林寺拳法の道場開いたんです。

27歳の時でした。でまあ、少林寺拳法の道場だけでは生活がなりたたないのでね、ある時弟子の一人がね、せっかく建築やってたんだから建築の設計をやったらどうか?って言ってくれたんです。

当時、申請業務っていうのを大工に変わって書く、代案っていうんですけどね、書く人少ないのでそれをやったらどうかっていってね。そこからスタートしたんですよね。まったく知識もなかったしね。

それで設計なんかやっててね、周りが上手いですねってほめるわけですよ。それでだんだん調子にのってきてね(笑)で、1級の試験受けて通って正式に事務所を開いた訳ですよ。

2up_1095643.jpg2down_1095643.jpg

で、それが32歳の時。それがまた現状に対してもっと何かしたいなって思ったんですよね。それでね、安藤忠雄さんがヨーロッパ建築ツアーの講師をやるっていうのを雑誌でみてね、これはいい、これに参加しようって思ってね、その時車を買おうと思っていたお金をね、その建築ツアーにつぎ込んでいったんですよね。

今思えばそれが人生のターニングポイントだったんですけどね。

お前えアホやなって安藤さんからは言われましたけどね。そこではいろいろと刺激を受けましたよ。

その後3年間で300冊ぐらい本読んだんですね。で、大体まあ、東京にきて建築をやっている人としゃべっていてもそんなにちぐはぐにならなくなってね。

38歳の時に少林寺拳法の道場を弟子に譲ってね、地元の大分市に事務所開いたんです。それでまた次にいこうと思って、都会の福岡に事務所を開いてね、そのあたり自分の意志で能動的に進出したけど、

ただ、今の東京の事務所は東京で仕事が増えてきたので、ある意味では受動的でした。

リファイン建築っていうのはどういうのがきっかけで?

安藤先生とヨーロッパにいった時に、イタリアにベローナっていうところがあって、そこにロミオとジュリエットの舞台になったカステルベッキォという建物があるんですよ、今は美術館になってるんだけどね。

私らが教えられてきた建築っていうのは、一から作っているんですよね、ですが建物のオーラに魅せられるものがあって、、、歴史的な空間の中になにかしら別の要素を突っ込むとこんなエレガントな空間に・・って事を体感してね。そこで感じた事を自分なりに表現できないかなあていうのが大きなきっかけでね。

今、もうリファイン建築を続けて、20年くらい経つんですけどね、いつも建築家としてなにか自分に武器(オリジナリティー)を持ちたいと思っていた。それが私にはリファイン建築だったってことですね。

普通の建築っていうのは、平地に建てるとしてね、何百通りの立て方があるわけなんですよ。でもリファイン建築ていうのはね、現存する建物、築年数、それに向かいあうんですよね、建物の声を聞く、感じる、そしたら回答が見えてくるんですよ。こういうものでないといけないだろうとね、確信。

そういうふうになるとね 深く追求できるわけですよね。あ、それと通常建築っていうのは必然的にその建設する場所に影響を受けるわけですけどね、私の場合おもしろいのはそれだけでなく、建物によって影響を受けることになる。

そこの建物に影響を受けるとね、その建物の歴史性っていうものをよみとりながら対話できるっていうね。だからヒントに溢れていてアイデアが枯れる事はないんです。

up_1135878.jpgdown_1135878.jpg
IPSE目黒鷹番

建物をつくるプロセスにおいて、気持ちの面でも波みたいなものありますか?

建築は生き物ですからね、それを考えているってときは、、経済的な問題、法律の問題、近隣の問題、現存する建築物をどうやって再生していくかって悩むときもあるけど、でもアイデアが浮かんだら一気にはしりだしますね。

今、私の建築プロジェクトは15件程が同時進行しているんですけどね。それはいろいろですよ。ものすごくワクワクするものと、ん〜と思うもんもありますし(笑)でもそれをいかに平常心をもってやっていくかってことでしょうね。

街歩いてこれやりたいなあて思うものっていうのは山のようにありますよ。まあそれがワクワクしている間っていうのは大丈夫なんでしょうね(笑)

up_1135887.jpgdown_1135887.jpg
IPSE目黒鷹番

リファイン建築の成功と確立するまでのご苦労はありましたか?

常に失敗の連続だったんです。成功って感じられるのはあんまりないですね。ただ、失敗したらそれに対してどう対処するかっていうね、それが上手くできたんじゃないかって思いますね。成功したっていうんであれば、そんな失敗の連続を教訓にできたってことでしょうかね。建築においても、人生においてもね。

up_1135868.jpg
down_1135868.jpg
IPSE都立大学

建築家を目指す若者にアドバイスあれば教えていただきたいのですが。

今の若い人は焦る事はなくて、今、目の前の仕事をちゃんとしていくことかな。自分にあたえられたことに関して全投球する。焦った時期も私にも当然あったんですけどね、結果的には良くなかったですね。

今ある仕事っていうのは腰をすえてやっていくっていうのは、人がしっかり評価してくれて、人伝えにいってくれるって事でしょうね。仕事ってね、自分の力量以外のことってこないんですよね。力量っていうのは、建築をつくるっていう力量もあれば、人間的な力量っていうのもあるしね。

すべて含めて、自分の力量って以上のものってこないんですよね。

up_1135870.jpgdown_1135870.jpg
IPSE都立大学

これからの夢や目標などあれば教えてください。

リファイン建築っていうのはね、ある瞬間から誰もやっていないって分かったんですよね。私が先駆者てことがわかったんですよね。発表して20年たつんですけどね、今からは若い人にこの建築概念を伝えていきたいっていうのがあります。

どこでもコンクリートの再生っていうのはそんなにないんですよね。だから行脚しながらね、各地にひろめていくのが自分の使命かなあって思いますよね。

up-420-shigeru-aoki.jpgdown-420-shigeru-aoki.jpg

地方で頑張っている建築家っていっぱいいます。地方が元気にならないとねやはり日本は。東京だけがすべてででないしね、

そういえばウラハラ藝大教授にも地方から参加している若い建築家がいるようですね。彼のような人にがんばってもらいたいですね。

(現 首都大学 都市環境学部教授)
posted by seo at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2008年10月16日

能楽師・坂真太郎 氏 に聞く、能のクリエイティビティー

up_A096421.jpgdown_A096421.jpg
※能面は表を見るより裏をみると誰の作品かが分かるという。ノミが横にはいっているとか、縦にはいっているとか、汗のながれる経路も考えてつくられているようですね。

インタビュアー 後藤みほ子
写真・記事編集 瀬尾泰章

up_A096425.jpgdown_A096425.jpg

台東区にある、能楽師・坂真太郎氏の稽古場を訪ね、能について、クリエイティビティーについて、そして『幽玄』の世界についてお話を伺った。

up_A096435.jpgdown_A096435.jpg

インタビュアーは、アナウンサーの後藤みほ子さん


★きっかけ★

初舞台が2歳の時でした。
父がもう能楽師としてやっていましたので、気がついたら、能は自分の生活の一部になっていましたね。私も最初は、行儀見習いみたいな感じで能をはじめたんでしょうね。

大人の仕事っていうのはこういうもの(能)なんだろうなと、思っていましたし、幼稚園の時なんかには、もうすでに謡の先生になるんだと周囲には言っていたみたいですね。

東京藝大を卒業して、私の父の師匠のところに修業に住み込みで入りました。住み込みっていうのは、学生時代とは違うんですね。大学の場合はカリキュラムがあって、明確な指導っていうのがあるんですが、内弟子修業にいくとどちらかといえば、『芸は見て盗め』という感じですからね。

稽古ばかりできるわけでもなく、雑用が多かったですね。能楽堂の一角に住んで、掃除、買い物、先生のお迎えに行ったりだとかですね。なんでこんな事しないといけないのかな、と思いながら当時は思ってやっていることもありましたね(笑)

その生活の中で、相手の気持ち(先生、先輩、同輩、後輩)を感じることの大切さを学んだんでしょうね。そういう事が大事というか、そういうことを学べる時間でしたね。一つの一番大きな目的だったのだと思うのです。

★伝える★

とにかく能をやっていない自分が考えられなくて、仮にこれをやっていなかったら、、、というふうにすら思わないわけです。今のような変化の多い時代ですが、バトンを受け取った人間にとっては、知らないといって、投げ出せないわけですよ。そして次の世代に受け継ぐ責任を感じます。これまで約600年という歴史のなかで途切れる事無くつながりで伝承されてきたわけですから、私だけのものではないのです。

up_A096393.jpgdown_A096393.jpg

こういう時代だからこそ、写真・映像だとか、かなり鮮明に残しておくことはできるでしょうが、今の時代を生きて物事を肌で感じて、すごいというものを、私も後世に伝えなくてはというのがありますね。ずっと先輩の能楽師の方々を観ていて、いつも思うのですが、身体の使い方なんかは真似できないなと、すごいですよね。どうしたらああできるのか、いつも自問自答です。

up_A096403.jpgdown_A096403.jpg
※近江女という能面。都の美人とは違って、そんなにあか抜けてないっていう表現があうかもしれません。能面は人間の顔と同じで左右非対称につくられているんですね。

私は先輩方の舞台をみていて、すごいなあと思うのですが、そこで感じたものを次の後輩にパスするには、自分がここ(上のレベル)にいかないといけないんだなあという気持ちもありますね。

もちろんテクニカルな問題、まだ自分のなかで消化できてないものもありますが。自分でこうかな、ああかな、とやってみるんですが、どうもうまくいかないってことありますからね。

up_A096385.jpgdown_A096385.jpg

人生のほとんどを能に関わって生きているんですが、自分も年々これから老いていきますが、体力、筋力が衰えていくからといって芸がおちてゆくわけではないです。

やはり先輩方の舞台をみていると、舞台の上でみえるスピード感って違うんですよね。体力、筋力は衰えているはずでしょうが、速くみえるんですよ。速く見えるっていうのと、実際に速いっていうのは違うんです。確かに私の方がだいぶ若いのですが、舞台の上でどっちが速いかというと、それはかなわないものがあるんですよ。

能を演じるにあたって、伝統を守るだけではなくて、例えば、薄いガラスコップに例えるとすれば、それを壊さず割れないように大事に守ってリレーしてゆくというよりも、今の時代の、その時代にいきているエネルギーを注いでいくというのが大事なんでしょうね。そうすることで今の時代にあった表現ができるのかもしれませんね。

up_A096420.jpgdown_A096420.jpg

★魅力★

やっぱり能の美しさは、能の基本的な考え方というか、余分なものはなくすというか、削った最後にでてくる美しさなんですよね。ダイアモンドのようにいらないものをそぎ落として最後にでてくる美しさというか、例えば桜の時期、能の場合、一本桜の造花を持ってきて、満開の桜を想像してください。っていう世界ですからね。言葉からの桜のイメージをお客様にお伝えするというものですからね。想像力を必要とする世界かもしれませんが、じゃあ、お客さん想像してください、というのではなくて、そんな想像が湧くような舞台での発信をしていかないとお客様まで届かないと思いますしね。

up_A096372.jpgdown_A096372.jpg

★クリエイティビティー★
※坂さんは、オペラや現代音楽奏者などとも積極的に活動をされています。

昔、能をはじめた方は、当時は全て、演目やその他やり方など、まったく新しいものだったわけですからね。新しいものを作り出すエネルギー、まあそういうワクワクする気持ち、そういうものって失ってはいけないと思っているんですよ。そいう意味では、他のジャンルの方々とも一緒にいろいろやって、新しいものをつくっていくことは、これからもやっていきたいんです。自分で小学校の時に書いた作文があったのですが、お能にバイオリンをいれたらいいんではないかなどと(笑)、なのでどういうわけか子どものころからいろんな方と一緒に共演する事には、抵抗があまりないんですよ。

違う分野の方々と共演するのは面白いです。相手の出方を受けて次はどうするか、そっちはどうやるのかなっていうのは普段一緒にやらない人たちなので、そこを見極めるというか。普段いつも舞台をやる方は、なんとなく、呼吸がわかる部分がありますが、いつもはやらない違う分野の方々とは、どういうふうにくるのか、構えて待っているのがとても面白いですよね。耳を傾ける時間。神経を研ぎすます訓練になるといいますか、それが能の舞台に戻ってきたときに、決して無駄にはならないと思いますね。

up_A096384.jpgdown_A096384.jpg

★幽玄の世界★

能っていうのは、『幽玄』の世界といいますがね、どっちの漢字にも、暗いっていう意味合いの漢字がはいっているんですね。暗さのなかで怪しげに動いている。それは人の想いっていうのもあるんでしょうね。そこにとどまってしまって、想いみたいなものが、舞台上で呼び出されて、また向こうに帰っていく。作品によっては、これは能の世界でないと、表現できないなあ、ていうのもありますよね。時間軸がやっぱりねじ曲がった感じが、お能独特の感覚ではないかと思いますね。

up_A096466.jpgdown_A096466.jpg

余談ですが、能を観ていて眠るっていうのが一番の贅沢だっていう方もいらっしゃいますがね。能は研究によると、α波がすごく出ていて、眠気を誘うようなんですよ。

★これから★

一人の舞台人としては、自分が次の世代の目標になりたいなあ、と思いますよ。そのためには、やらないといけない事がたくさんあるでしょう。自分がどうなるかということは、自分が後輩たちの目標になる役者になるって事ですかね。

あと、広くいろんな方が能に興味をもってくれるようになっていただければ嬉しいですよね。まずは日本人が能を見直してくれる事が嬉しいですね。日本で能を観た事がある方っていうは、たった2.5%っていう調査もあるんですが、将来はこのパーセンテージが増えているっていうのが一つの目標ですね。

up_A096389.jpgdown_A096389.jpg

※ 文化の日、国立能楽堂にて、坂さんの舞台が行なわれます。

日時:平成20年11月3日(文化の日)
開演:14:30(開場13:45)
会場:国立能楽堂

第35回記念坂真次郎三回忌追善能

仕舞
「清経」  観世喜正
「隅田川」 津村礼次郎

舞囃子「砧」 観世 喜之  

狂言
「泣尼」 野村万作

仕舞
「遊行柳」 野村四郎

「求塚」  観世清和


「道成寺」 坂真太郎

注)この公演のチケットは完売のようですが、青木涼子教授も出演する、この公演でも坂さんの舞台をみることができますよ。

ART COMPLEX 2008 一柳慧×三輪眞弘×小金沢健人

posted by seo at 00:35| Comment(0) | TrackBack(0) | ゲスト教授

2008年08月03日

映画『BEAUTIFUL LOSERS』公開記念!

ゲスト教授に監督アーロン・ローズさんを迎えてのウラ藝校長対談

up2_8022005.jpg
dow2_8022005.jpg

映画『ビューティフル・ルーザー』の監督であり、New Yorkで『ALLEGED GALLERY(アレッジド・ギャラリー)』の設立者でもある、アーロン・ローズ氏。映画公開そして、ラファーレ原宿でのショーの為に来日。お忙しい合間をぬってウラ藝取材に応じていただきました。

up_420beautiful.jpg
down_420beautiful.jpg

配給:ファントム・フィルム
©Keith Scharwath
※上記写真をクリックで公式ホームページへ

up_8021998.jpg
down_8021998.jpg

校長
今朝、試写をみたよ。『BEAUTIFUL LOSERS』、シンプルさが尖っていてかっこよかったね。 ALLEGEDに集まったアーチストたちの淡々とした肉声がいまも耳に残っている。 クレア・ロハスの歌に重なるNYの景色もリアルに感じた。飾らないそのままの映画。伝説の記録かな。

アーロン:
ありがとう。ほんと、実際のムーブメントが奇跡のようだった。

校長:
ALLEGEDの友情っていうのも興味深かったね。それぞれに個性的な連中がいっしょにグループショーを作ってゆく、お互いがお互いを 認めあい影響しあって楽しんでる姿はちょっとうらやましかった。

up3_8021996.jpg
down_8021996.jpg

アーロン:
そう感じでくれたら嬉しいね。ギャラリーも最初つくったときに、誰も見てくれる人がいなかったんだけど、アーティスト自身も何も経験もない人ばかりだったし、私自身もアートに関する経験もなかった。アートの世界もなにも知らなかったよ。根本的にギャラリー自体の事も何も知らなかった。しいていえば、このギャラリーは音楽とのつながるところだったよね。みんな音楽でつながってたね。アートっていえるものがなかったんですよ。

校長:
マーガレットの運命にはショックだった。

アーロン:
マーガレットは強い女性だったし、彼女自身がたくさんのことでみんなをおどろかしてね。映画ではわざと悲しませようとかではなくて、人々に対して生きるということを認識してほしかったんだ。

校長:
自分を表現できるのは自分しかいないから自分でやるんだってアーロンさんの メッセージはあまりにまっすぐでいいね。そのとうりだ。 自分の見たい映像をだれかがつくってくれればボクはやらないってハーモ二ー・コリンさんもやっぱりそうだ。いつも12歳13歳の目を気にしている。彼らが作品をどうみてくれるのか、それが一番大事だよと バリー・マッギーさんの言葉にすごく共感したよ。

アーロン:
すべては見る者の自由さ。。キッズのように純粋に素直にね。特別に誰かに影響を与えたいとかっていうんじゃないんだよね。単純に楽しむってこと。やっぱり今のアートっていうのはお金の世界になってるけど、アーチストの目的はそういうものではないと思うんです。ALLEGEDのルーザーズは世界的成功を収めたけれど、彼らのスタイルは変わる事は無くて今もキッズのままなんだ。

校長:
ウラハラ藝大っていうのは全ての道はアートでつながる≠チてスローガンで、医者や柔道家や会計士らが美≠さがしながら教授してるんだよ。

アーロン:
いいね。どんな分野にもクリエイティビティーが必要だよね。すごく大切なことだよね。

up2_8021985.jpg
down2_8021985.jpg

校長:
今日はゲスト教授として、対談に応じてくれてありがとう。次回はウラ藝にもあそびにきてくださいね。

アーロン:
ありがとう。次回、日本に来たときには是非遊びにいきますね。

★8月2日(土)よりロードショー中!!

★今日は、アーロン・ローズ氏のワークショップがラフォーレミュージアム(原宿)で行なわれました。

『ZINE(ジン)の作り方』
ジンとは?:ミニコミ、同人誌のこと

展示は8月16日(土)まで、入場無料。

up_8022080.jpg
down_8022080.jpg

up_8022073.jpg
down_8022073.jpg

★他参加アーティストによる、サインペインティングの講座も開かれました。
up_8022096.jpg
down_8022096.jpg

取材協力:オレンジプロダクション
     株式会社ファントム・フィルム
posted by seo at 01:18| Comment(2) | TrackBack(0) | ゲスト教授