2011年11月12日

越後から、雪の博士が日本橋を初訪問

ウラハラ藝大が、原宿から”日本橋”にうつって、ひと月がたとうというとき。越後(新潟)を拠点に活躍する 雪の博士 諸橋和行教授 がはじめて日本橋を訪れた。

日本橋の橋の上、季節はまだ秋である。

諸橋和行教授は、待ちきれぬ降雪に、持参した”雪かき道場”アイテムを装着するのであった。

そこへ通りがかるは、かわはら ゆな

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日本橋の橋の上。

雪の博士 諸橋和行教授が出会った、雪かき道場未経験者。

越後流 雪かき道場への招待状も渡せたようだ。

http://dojo.snow-rescue.net/

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さて、狂言には”越後”がタイトルになっている『越後聟(えちごむこ)』というものがあるそうな。

あらすじ:

能登の舅(しゅうと)に越後の聟(むこ)が酒樽と肴、牡丹の枝を土産に携え聟入りに来る。姉聟の勾当(こうとう:盲人の官位)もちょうどきており、盃事のあと、勾当が舞を舞う。聟は越後の獅子舞を所望され、身ごしらえをするために中座し、その間勾当が平家を語る。
準備を整えた聟が出てきて、獅子舞を披露する。

かわはら ゆな、11月20日(日)に落語家の立川志の輔師匠の『落語DEデート』という文化放送(AM1134) の番組にゲストで出演いたします。時間は朝6:00から6:40です。是非、お聞きください。

http://www.joqr.co.jp/index.php

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2011年10月21日

Tomorrow's Champion 10.26

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アンディ・オロゴン選手(平仲) と うすい祐介選手(石川)
彼らが出場する、Tomorrow's Champion が10月26日(水)に、後楽園ホールで行われる。

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うすい選手といえば、同じジム(石川ボクシングジム)で汗を流し、うすい祐介選手はじめ、ジムの若手選手を応援し続けている、高田一信教授だ。

試合を目前にむかえ、緊張感漂うジムの中。トレーニングに、スパークリングに熱のはいる選手たち。トレーナー、マネージャーもそれ以上に熱が入る。

余計な事は考えない。無心で一点を見つめる選手たちのまなざしは熱い!

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明日のチャンピオンを目指して、選手たちの熱気を肌で感じてほしい。

10月26日(水) 18時より
後楽園ホールにて(詳細は、石川ボクシングジム

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高田一信教授も応援に行きます!
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2011年10月15日

縁側トーク第2弾:ヨーガ講師 / セラピスト・小泉恵理さん

中 賢一郎主催『縁側トーク第2弾』は、北海道の十勝を中心に活動するヨーガ講師 / セラピスト・小泉恵理(こいずみ えり)さんです。

恵理さんは元臨床検査技師でありながらヨーガ講師やヒーリングセラピストに転身した、異色の経歴の持ち主。近年は医学とヒーリングセラピーを融合させた独自の体操法「体喜操」の指導も行っています。

今回は、そんな精力的に活動する恵理さんのパワーの源・十勝から、そのエネルギッシュなライフスタイルをお伝えします!

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【プロフィール】
小泉恵理(こいずみ えり)
北海道帯広市在住。15歳からヨーガを始め、医療系の学校に進学。卒業後に臨床検査技師として14年病院勤務。退職後はヨガなどの体操指導などを経て、2006年に独自の体操法「体喜操」の指導を開始。地元・十勝では新聞社のカルチャーレッスン、スポーツクラブのほか、養護教職員、PTA関連、学生など様々な方を対象に体操指導に当たり、最近では東京でのレッスンも行っている。(HPはこちらhttp://taikisou.com/index.html

<ケンイチロウ>
恵理さんは、元臨床検査技師なんですよね。

<恵理さん>
もともと、人のためになる仕事がしたかったんです。本当は歌手になりたかったけどそうもいかなくて(笑)、高校卒業後は医療系の学校に進みました。それが臨床検査技師の学校だったので、卒業後も帯広の病院に臨床検査技師として就職したんです。

<ケンイチロウ>
臨床検査技師ってどんなことをしていたんですか?

<恵理さん>
尿検査や心電図など、患者さんから採取されるものを機械にかけたり、赤血球や白血球の状態を顕微鏡でチェックしたり。多岐にわたります。

<ケンイチロウ>
そこからヨーガやヒーリングセラピーの道に進んだことには、どんな経緯があったんですか?

<恵理さん>
臨床検査技師って本来は検査室内での業務が主なのですが、たまたま私は患者さんと接することができる部門にいたんです。患者さんたちは、お医者さんや看護婦さんに相談できないような心配事や悩みを話してくれて。それで、患者さんは「まな板の上のコイ」にならざるを得ないんだという病院の現実に気付いたんです。どうして臓器の病巣部を取り除けても、「こころ」の部分は病院では治療できないんだろうと。

<ケンイチロウ>
患者さんにとって病院が不安要素でもあったんですね。

<恵理さん>
新生児からお年寄りまで幅広く接する中で「生ってなんだろう」「死ってなんだろう」と考えるようになって、私自身も苦しくなってしまって。仕事が嫌になったりしたわけではないんですが、患者さんが病院にかかる前の段階へ、自分の仕事の領域を移していきたいなぁと思うようになったんです。

<ケンイチロウ>
なるほど、それが現在の分野に進むきっかけになったんですね。

<恵理さん>
はい。ヨーガ自体は自分の趣味で、15才のころからやっていましたし。

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<ケンイチロウ>
おお、そんなに若いころから!今はヨーガ以外にもいろんなことをされていますよね。独自に「体喜操」っていうものをやっているそうだけど、それはどういうものですか?

<恵理さん>
体喜操は、私の経験と理論を総合して生まれた新しい体操法です。こころとからだで生きている喜びを感じながら、からだの機能を維持し、強い精神力を育て、病気を予防していくんです。臨床検査技師として培った血液学・運動生理学などの医療知識、ヨガなどの東洋医学・思想に基づいた体操の指導経験、そしてヒーリングセラピストとしての経験が活かされています。

<ケンイチロウ>
いろんな経験を持つ恵理さんならではの体操法ですね!

<恵理さん>
14年の病院勤務を経て、今やっている活動もほぼ同じ年月を経ようとしていますが、私の原点と夢はやっぱり医療との関わりなんだな〜と改めて思いますね。人は病気になって初めてからだの大切さに気付くんです。特に女の人はとても役割が多いから、いろんな事に振り回されているうちに自分を見失っていく。

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然別湖にて

<ケンイチロウ>
そうですよね。忙しさを理由に、からだをケアすることやお金をかけることも、つい我慢してしまう。

<恵理さん>
女性は生理がなくなっていく50歳前後にからだの変化が出てきますが、失われていくものに対してのケアは、大切なことです。自分を大事にすることが他者を大事にすることですから。そういうことをもっとたくさんの方に伝えていきたいので、もっと勉強もしたいし、伝える場も増やしたいなと思っています。

<ケンイチロウ>
そういえば、最近は東京でもレッスンをやっているんですよね。

<恵理さん>
ええ、新聞社の依頼で、東京の購読者の方に向けたレッスンをしています。前回は安眠を得ていただくためのケアについてのレッスンでした。都会へ行くと睡眠環境に電車や車などの騒音があるので、蝕まれていくのをすごく感じますね。あれでは生活のリズムが崩れていくのも、当然だと思います。

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<ケンイチロウ>
そうですか(笑)。

<恵理さん>
東京で電車に乗っているといつも思うのですが、みんな服も靴もベルトもバッグもかっこいいんだけど、すごくやつれているというか、大変そうっていうか。ものすごく気になりますね。

<ケンイチロウ>
うーん、そうかも。

<恵理さん>
だから本当は、東京より十勝の広大な自然の中でがっつり行うようなプログラムを提供したいですね。からだやこころはもちろん、食から変えられるような。それは医療従事者の方々に向けてもやっていきたいと思っていたことなんです。自分が働いていた時もみんな忙しくて、プロとしてのプライドから誰も口にはしませんが、肉体も精神も疲れ果てているのを感じていましたから。いずれは必要な施設などを建てて、そんな医療従事者の方々のケアができるようになっていけたらいいなと思います。

<ケンイチロウ>
それは素敵な目標ですね。やっぱり患者さんを元気にするには、医療に関わる人間だって心身ともに健康じゃないといけませんよね。恵理さんも毎日忙しいと思いますが、1日をどう過ごしているんですか?

<恵理さん>
そうですね、夜は大体12時くらいには寝て、朝は4時くらいには起きるという生活です。自分のからだを動かすことから始めています。瞑想も1時間くらい。早朝の静寂な時間が大好きなので、家の周りを歩きながら、ゆっくりと登ってくる朝日を堪能します。外で行うヨーガもいいですね。

<ケンイチロウ>
とても健康的ですね!

<恵理さん>
仕事では、週に12,3か所を回ってヨーガのレッスンやセラピーを行っています。十勝管内を車で200km以上移動する日もあるんです。

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<ケンイチロウ>
セラピーでは、たまに1人の人と5時間くらい向き合っていると聞いてびっくりしました(笑)。

<恵理さん>
時間を目の前にしてやるセラピーは、その中に収めようとしているのであまりやりたくないんです。この「クイック!クイック!」という時代の中で、丁寧に人と向き合うことは大事だと思っています。そうして、仕事を終えて家に帰ると雑務があるし、勉強もあるし、これでも高校生の娘のお弁当を毎日作ったりと家のこともきちんとやっていますから(笑)、ついついからだを酷使することもあります。

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<ケンイチロウ>
ほんと瞬く間ですよね、1日は。

<恵理さん>
そうですね。だから、自分で行う自分のケアのようなものは、寝る前に30分から1時間やるようにしています。自分でも、日々の時間を切り分けるというのはすごく上手になったと思いますよ。「今世、生ききる!」というのを決めているので、その時その時、瞬間を大事にして生活しているつもりです。

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まだまだ話は尽きませんが、北の大地のエネルギーにあふれた恵理さんの話をもっとたくさんの人に聞いていただきたく、座談会を開催することになりました!ぜひ、エネルギッシュな恵理さんのパワーをもらいにきてください。きっと癒しと元気がもらえるはずです!(当日は恵理さんによる小レッスンも!)

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『北の大地のセラピストに学ぶ、ワーク・ライフ・バランス』

縁側ゲスト:ヨーガ講師 / セラピスト・小泉恵理さん

日時: 11月3日(木曜日)13時〜15時30分(2時間半)
場所: ウラハラ藝大(日本橋)
参加費:2500円(北海道のおみやげ付き)
定員: 10名(※事前予約が必要です)

※質問も大歓迎!!

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参加をご希望の方は、

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より、お申し込みください。

お待ちしております。
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2011年10月01日

東京・日本橋に引っ越しました!

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ウラハラ藝大アトリエは、東京・裏原宿のアトリエから、メインアトリエを 東京・日本橋 に引っ越しました!

出演:
THE短歌GIRLS:武井れい(短歌の会)、日置恵(おいしい書道)& 通りすがりの江戸っ子

ロケーション:
日本橋にて

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日本橋アトリエの様子。
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2011年09月22日

ケンイチロウと十勝/北の大地へ

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朝六時。

広大な十勝平野を見渡せる、剣山に登った。
日高山脈や大雪山も一望できる。

中 賢一郎教授

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南国、奄美大島出身の彼が惚れ込んだ北の大地、十勝。
二ヶ月ごとに一回(一週間)彼の本業である正體師(せいたいし)として十勝の患者さん(100人強)の健康を見守っている。

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「瀬尾さんに私が惚れ込んだ十勝をご紹介したい」

そういっていただき、ご一緒した十勝。

広大な大地、大地の食材、力強い空気、豪快な大空、そしてその中で生きる人々。

三日間、中教授の自慢の十勝を満喫させてもらった。

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『とかち晴れをおみせしたかったのに、、、』と残念そうにいう。

滞在中、青空が広がることはなかったが、終始、中教授の表情は晴れ晴れとしていた。

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そして、中教授のコーナー、ケンイチロウと縁側『縁側トーク第2弾』は、その十勝の大地で勢力的に活動されている、体喜操 主宰の 小泉恵理さんです。ケンイチロウと縁側『縁側トーク第2弾』は近日アップ予定。

彼女のパワフルさには、僕も圧倒されました。
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2011年09月14日

チーム よしのなでしこ / 吉野歯科診療所

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※画像クリックで大きくなります

1日の仕事を終えた、”チーム よしのなでしこ” 

吉野歯科診療所を支える、女性陣だ。

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この日も、昼下がりから 4、5時間にわたるオペだった。

個々の機敏な動き、先々を考える視線の流れ、互いの目線合図。
執刀する、吉野敏明先生のまわりを、女性ながらのしなやかさで、包み込む。

日々の仕事に加え、学会発表も多数ある。勉強、研究、そして指導にもあたっている。周りからみると、激務ともみれるその活動内容だが、バイタリティー溢れる仕事ぶりは、むしろ楽しんでいるようにさえ映ってしまう。

チーム よしのなでしこ。

一般的にも女性の活躍が特に注目されている昨今だが、吉野歯科診療所の女性陣は、今、各界から密かな注目を集めているようだ。

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2011年08月22日

だれかを元気にする、坂本和加教授のことばのワークショップ

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ことばとむきあい。

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ことばをつくる。

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ことばを、別のことばとつなげてみる。

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うん、いいな。

そんなことばが生まれる時、元気が生まれる瞬間がくる。

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坂本和加教授の「コピーライダーゴーイング」。
今回のテーマは「だれかを元気にすることば」。

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そのことばで、大切な人を元気にできたなら。
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2011年08月13日

きゅうり、食べた/ベジ*タベル・ラボ

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ざっくり、切り口お見事!

これ、きゅうり。

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オレ、きゅうり

きゅうりの花と、オレきゅうり。

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あれ、タナカトウコ教授
野菜の魅力を伝える、スペシャリスト。

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きゅうりの事、もう、まるはだかに解説しちゃうんだ。

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シャープで、みずみずしい切り口は、お見事さ。

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きゅうりの食べ方もいろいろいろで、納得、満足!レシピをいただきます。

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クラス後、家に帰れば、賢くなった気分で、きゅうりのうんちくをしゃべりまくれるのであった。

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さて、

次回は、8月25日(木)のディナータイム!トマトの登場だ!

【トマト*タベルParty】

 ●日 時:8/25(木)19時〜21時30分頃まで。
 ●テーマ:「栃木のトマト」
 ●内 容:テーマ野菜についてのレッスン。
      カンタンレシピの紹介&試食(3品+α)
 ●参加費:3,800円
 ●会 場:ウラハラ藝大アトリエ

8月のワークショップは、JA全農とちぎさまとコラボレーション。栃木のおいしいトマトが届くそうだ!

受講お申し込み、詳細は、こちらからどうぞ♪
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2011年08月09日

声だし、スッキリ!狂言 x Voice detox 講座

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狂言 x Voice detox 講座 かわはら ゆな」が、開催されました。声だし、スッキリ。狂言の謡い『柳の下』(室町歌謡)も歌い、気持ちもシャキッとしたご様子。

普段、声を出していない方も多かったので、爽快だったようですね。狂言のお勉強もして、充実した時間となりました。

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2011年07月25日

縁側トーク第1弾:鳶頭・山口政五郎さん

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photo: Hiroaki Seo

『縁側トーク第1弾』は、鳶頭・山口政五郎(かしら やまぐち まさごろう)さんです。

昭和6年、東京都霊岸濱町(現在の中央区新川)に、濱町抱鳶頭・山口重次郎の長男として生まれ、14歳で鳶の世界に入る。平成5年には、労働省の「現代の名工」100人の1人として卓越技能賞受賞し、翌年平成6年には、黄綬褒章受章。まさに名実共に、鳶の頭、鳶頭(かしら)です。著書に「とんびの独言―鳶頭(かしら)政五郎覚書 」(角川書店)

※聞き手:中 賢一郎教授「ケンイチロウと縁側

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いやーこの夏も暑いですね〜。しかし昔はどんな暑さだったんでしょうね?

いやあね、私たちが育ったころにはね、こんな超高層ビルがなかったからね。だから今頃の時期になると、東京湾の品川辺りからのね、もう夕方6時ころになるとね、潮風が入ってくるわけ。だから縁台に座ってても、ベタベタしてしまうんだね。ところが人形町にいくとないんだね。新川あたりまではね、この潮風が品川からずっと入ってくるけどね。だから縁台でね、年寄りが将棋や碁をやったりさあ、ベーゴマとかね。夜日が暮れるまでやってたりしたね。まあ、閃光花火なんかやったりしてね。ところがね、終わってくるとね、ベタベタなのよ。だけど今はベタベタがないってのは超高層ビルができちゃったから。そいつらがね、潮風をさえぎっちゃてるからね。まあだから昔はトタンなんかも1年もたつとサビができちゃうね。

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鳶頭に改めて、聞いちゃいますが、”鳶”って主に何をやる職業なんですか?

鳶っていうのはね、町内の抱えだからね、なんでもできないといけないんだよね。まにあわせなんだよね。祭り仕事から、大工仕事もしなくちゃいけないし、火消しなんかもしなくちゃいけない、人のお伴もしなくちゃいけないしね、要するには町内の用務員だね。分かりやすくいえば、学校の用務員みたいなね。それはもう江戸時代からそういうね、掃除から、引っ越しの手伝い、嫁さんの裁量だとか、結婚式だとか、折口(おれ(り)くち/葬式の事)だとかね、町内の行事を全部しきっているんだよね。仕切るって言葉は嫌かもしれないけど、それを全部 ”心得ていた” んだね。

なるほど。しかし鳶ってなんで鳶(とび)って呼ぶんでしょうか?

鳶ってのはさ、これはまあ仮説なんだけどね、江戸時代、将軍がね、城の上から下を眺めていてね、足場をかけて仕事している人を指してさ、家来に『あれは何だ?』って聞いたんだね。そんときに、たまたま鳥の鳶(とんび)が飛んできたんだね。だから家来は鳥の事を聞いたと思ってね、『あれは鳶でございます。』って言って鳶になったっていうね。しかし、面白い話でね、今でもたまに地方にいって名刺だすとね、『どういう鳥を飼っているんですか?』って聞かれるんだよ。鳥屋だとみんな思っているの。ハトだとか、にわとりだとかね。鳥は鳶だけ売っているんですかって。いやそうじゃない、その鳶じゃないんだって、いうわけさ(笑)

後はね、火事場道具に ”鳶口” を使うところからきているっていうのがあるんだけど、それがもっともらしい話なんだけどね。

しかし話は変わるけどね、みなさん誤解しているんだよね。メディアとかね。下町ってよくいうでしょ。ごみごみしているところを下町って呼んじゃってるでしょ。下町っていうのは、高級地なんだよ。明治8年に東京市が、要するに東京駅のところあそこはお堀なんだけどね、茅場町までね、そこまでを下町って呼んだの。下町っていうのは、『城下町』なんだよ。浅草行ってさあ、『下町』なんていってるけど、どこに城があるんだって、いうわけさ。城下町の ”城” をとって、『下町』なんだよね。

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はは、そうですね。今は何でも下町ってつけちゃってますね。ところで鳶頭は昭和6年の生まれですね。

そう。私の人生は波瀾万丈なんだよ。生まれてから、東京の、要するに平和な時代や戦争の時代も知っているわけ。下町には風情があったね。大東亜戦争があってね、物資が入らなくなってね、終戦のごたごたでもって、食うか食われないかも知ってるわけ。東京大空襲、これでみんな燃えちゃったよね、着の身着のまま逃げてきちゃったし。またね、平和っていいなっていうのも知ってるの。

昭和20年代だったかな、”文明開化” みたいなもんだからね。初めてジープみたときゃそりゃあ、ビックリしたよ。あいつら乱暴だからね、車道も歩道もないんだよ。歩道走ってくるんだよ(笑)。私はね、そんなの見てね、ジープがほしくてほしくてしょうがなくてね、仕事してね、いくらかふところが良くなって来た時、はじめに買った車はね、ジープのG3M。オープンカーでね。26、7才だったね。乗用車なんか買わなかったね、ジープだよジープ。ジープは3台潰してる。良かったね、ジープはねえ。左ハンドルでねえ。

しかし貧乏もしていたからね、お金のありがたみはよく分かっているわけだよ。お金っていうのは現金なんだよね。しかし、金がある時はどんちゃん騒ぎなんだよね、金ない時はさあ、それこそね、何にもないんだよね。俺等は貧乏しててもね、大晦日、正月ね、親なんかさ、学校の制服まで質にいれちゃってるわけだからさあ(笑)でもね、元旦ね、朝起きたらね、全部新しいもの用意されてたからね、服は新しい、下駄も新しい。ああ、良かったねってね。強烈な喜びだけが残っているんだよね。

誕生日なんかの記念日には、しっかりいいもん食わしてやんないと。今の人たちにしてみてもさあ、質素はいいんだけどね、人生には『メリハリ』がないと駄目なんだよね。明日使う金がなくても今日は、わあーっ!てやってさあ。結局、また明日から貧乏が続くんだからね。ちびちびやっててもしょうがねえんだよね。

100万円もらったら、ある時使わないと駄目なんだよ。100万の中からよう、10万を使うのは気持ちいいよ。でもさあ、10万しかないのに、ビクビクしながら10万使ってもいい気しねえよなあ。食べに連れて行ってやってさあ、精算してさあ、9万8千円でよかったってなあ、10万しかないのに、あいつらこんなに食ったけど大丈夫かなあってな。10万円超えてんじゃないのかなあって思ってんだよ。心配で飯もうまくねえよ。100万持っててさあ、みんなに食え食えいっていたら、勘定が8万くらいなんだよね。そんなもんだよな、実際は。面白いもんだよ。

夏ね、船でね、納涼大会やるんだよ。そんときにはさ、酒もビールもうんとあるんだよね。そんな時はビールはでない。1本しかないとさあ、飲まないやつまで飲んじゃう。分かる?酒も料理もそうだけどさ、わーといっぱい一気にだすと、みんな食べない、飲まないんだよね。これがちょびちょびやっちゃうとすぐになくなっちゃうんだ。1つ食えば満足しちゃうんだよね。人間の心理をつかまないと駄目ね。よくいうんだよ、経営者はみんなの心理をつかまないとってね。

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いやあ、さすがですね。なにか今の若者に伝えたいことってありますか?

やっぱり、士農工商の文化が一番いいね。私がいっているのはね、士農工商を2つに分けるわけ、大と小と。大規模、小規模って感じだね。だからね、日本にね、8つの文化があるんだよ。8つのね、生活の基盤があるのね。

これ、俺のやり方なんだけどね。1つ、

金銭の有るやつ金銭(カネ)をだせ。
金銭(カネ)の無いうやつ知恵をだせ。
何んにも無いやつ汗をかけ。


ってね。

金の出すやつは、金だけだしときゃいいんだよね。条件つけちゃいけない。アイディアある奴にまかせときゃいいんだよ。で、何もない奴は、はい!はい!って一所懸命動けばいいんだよ。これが経営の元だね。全て『分』だから。金やアイディアなくても、一所懸命働く奴はそれはそれで男になるんだよ。金持ちが全てじゃない。

でもね、これが厄介でね、金のあるやつは条件をつけたがるんだよ。しかしね、それをやちゃあ、金が死ぬんだよな。金出す奴はさ、1人は知っているけど、全体の心をつかんでないんだよ。今、みんなは何がほしいのか?金もらってね、1万円づつわけたほうがみんなが喜ぶのか、みんなでもって、お揃いの作業着を買ったほうが喜ぶのか、それともみんなが食べた事のないようなビーフステーキを食べさせた方がいいのか。知恵のあるやつの問題なんだね。それによってお金を出したやつが ”しつたつ” わけ。
※”しつたつ”とは、鳶の業界用語で、”たつ” という意味。

何にもないやつは、yesマンで、なんでもやってりゃいいんでね。ほんと人間は『分』だから。

この通りやれば、その道で、どの道でもさ、その道の一流なんだよね。
ほんと『分』なんだよね。

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いやあ、いいですね。ところで、今は夏でほんと暑いですが、鳶の仕事では体調管理ってどうやっているんですか?

今さあ、ペットボトルなんかもってる若い奴がいっぱいいるだろ。がぶがぶ飲み過ぎなんだよね。しょっちゅう飲んでんだろ。ああいうのはね、バテちゃうね。ロードレースはできないね。飲み過ぎは、水で疲れちゃうんだね。夏なんかさあ、朝の7時から夜の7時までだもんね。水飲む奴はバテちゃうね。作業場には水もあるけど、塩や梅干しも置いてんだよね。夕方3時までにがっちり飲めば、夜までいくよ。でも3時以降に水飲んじゃバテちゃうね。午前中の汗と、昼からの汗と、午後3時以降の汗は違うんだよね。午後3時以降の汗は、疲労の汗なんだよね。俺等、そういうの経験というか身体でしっかり違いがわかるんだよね。しかし飲み方考えれば、みんなバテないんじゃないかな。

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さてさて、他にも興味深い話はありますが、このヒートアップする鳶頭(かしら)の話を一般の方にも聞いていただきたく、8月28日(日)13時〜 鳶頭・山口政五郎さんをむかえて、『鳶頭が伝える時代とともに生きた教科書』と題し、縁側トーク(座談会)を開催致します。

”鳶頭の哲学” を肌で感じてみてください。”イキ” ってやつが、"やっぱりこうでなくちゃ" って事がたくさんみつかるはずですよ。

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『鳶頭が伝える時代とともに生きた教科書』

縁側ゲスト:鳶頭・山口政五郎さん

日時: 8月28日(日曜日)13時〜15時(2時間)
場所: ウラハラ藝大
参加費:2000円
定員: 12名(※事前予約が必要です)


※いろんな質問大歓迎!!
※ペットボトルはご持参いただいても大丈夫です(笑)

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参加をご希望の方は、

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より、お申し込みください。

お待ちしております!
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2011年07月14日

岩手山田の”ホタテ参上”、おいしい書道も、御神木に。

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ホタテ参上・カペサンテ和也、火加減をみる。

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実はこのホタテ、正真正銘、岩手県山田町 から届いたものだ。

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※届いた時の状態。殻付きです。

山田からホタテが届いたとなると黙ってはいられないのが、カペサンテ和也。

バター焼き、塩焼き、そしておさしみと、ホタテの豆知識を喋りながら、おいしくふるまってくれた。

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こんがり、色づくホタテ。

こぶりながら、肉質はよい。

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おいしいものを味わったらその想いを書くしかない。「おいしい書道」日置恵教授にならい、みんなで ”ホタテ" と書く。

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カペサンテ和也も手を休め、一筆いれる。

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(注)カペサンテとは、スペイン語でホタテという意味です。

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岩手山田産はどうですか?と訪ねると、「うん、いいですね」とクールに返答する、カペサンテ。今後のホタテ業界に何を見つめているだろうか。

三陸のホタテを食す。
このホタテ…ただのホタテではない。
あの大地震、大津波を生き延びて、我々の元に届けられたホタテである。
姿形は小さくとも、津波に流されなかったホタテ。
その生命を頂く事に感謝。


by カペサンテ和也

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そして、、、

この日 岩手県山田町の 阿部秋子 さんより、山田産わかめ などの海産物、そして野菜スティックの友 お手製の"ピーマンもろみ味噌" が届いた。

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筆をとる、日置恵教授。

阿部さんの為に書いてくれたのは、

「御神木」 の文字だ。

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※2011.6.1掲載「芽吹くものに」より

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そしてこの文字は先日、岩手県山田町の阿部さんのお宅に届き、

阿部さんから、写メとメッセージをいただいた。

『元気くんも大きくなりました。小谷鳥は緑に包まれ静かに鳥が鳴いてます。あのタンポポは綿毛を飛ばし新しい命のバトンタッチ 胡桃も沢山実を着けてます。』

山田の息吹を感じる事ができる、なんとも嬉しいやりとりです。

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2011年07月01日

けんいちろうと縁側/教授就任記念インタビュー・中 賢一郎

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通り抜ける風は、心地よく、
縁側で、ぼおっとしてみる大切さ。

奄美大島出身、中 賢一郎。

若かりし頃、いろんな場所で生活をしてきた。ヨーロッパ、中近東、西アジア、世界を放浪した時期。札幌すすきののキャバレーで働いた時もあった、お茶の行商として東北関東を回った時期もあった。アメリカに渡った時は、LAの鉄板焼きのレストランでシェフもやった。そして船乗りを目指し、メキシコまで航海をした。ニュージーランド、オーストラリアで遊びほうけた時期もあった。

26歳の時、父を亡くした。母親からの「健康が一番」という言葉を胸に、それから正體師(せいたいし)として患者さんの健康を見守っている。

そんな中 賢一郎さんが、ウラハラ藝大教授に就任です!

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中さんは、奄美大島のご出身ということですが、どんな家に住まれ、どんな子ども時代を過ごされましたか?

今はもう私が生まれ育った家はないのですが、高床式の家でね、庭がありその向こうはすぐ海でした。昔は防波堤なんか何もなかったから台風による被害っていうのは何度も受けましたけどね。風はぬけていく感じで、ドアも窓も開けっ放しによくしていましたね。

子どもの頃は、ずっと遊んでました。海、山、川、すべてが遊び場でしたから。その中でも家の前にある砂浜が一番の遊び場でしたね。野球をやったり、チャンバラやったりね。友達が牛飼っていたのを、砂浜に連れてきては乗ったりして遊んでました。砂浜の木陰にいくと涼しくてね、そこでよく昼寝してた記憶もありますね。ハブも沢山いるのですが、ハブは夜行性なので昼間は木の上で休んでいて、それを見つけては棒でつっついて落としたりしてました。自分で釣り竿つくって、えさも用意して、朝から晩まで釣りして遊んだりね。ああそういえば、夜にはカニが沢山でてきてね、それを観察してたりもしてましたね。

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そんな子ども時代、何か将来の夢はありましたか?

ありました。世界を見てみたい!、そういう漠然とした夢ですね。小学校5年生の時の事ですが、インドの舞踊団が僕らの町に来たんです。そのインドの舞踊団の中に私と同じ年代くらいの少年がいたんですね。で、その少年と目が合ったんです。顔の色、目の色が違うんですよね。それで、僕は、「この少年は私をみてどう思っているのかな」って思いましてね、その夜、砂浜で星空を見た時に、違う国に行ったら、そこからも同じ星空が見えるのかなあって・・・そこからですね、海外に行ってみたい!と思ったのは。その当時、クリーンエリザベスという客船が憧れの時代だったんですが、それで航海したいなと思ってました。

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その後はいつから奄美を離れたんですか?

高校進学と同時に、奄美を離れて鹿児島で下宿生活をはじめました。親元を離れ、生活をしはじめた頃思ったのは「この世の中、頭で行きていく人と体で生きていく人がいるんだろうなっ」って。そこで僕は思いましたね「僕は体でいこう」と。

高校卒業する時、兄は東京に住んでいたのですが、兄が私にも東京にでてこいよと、というんです。いろんな生き方があるから、いろいろ見てみろってね。東京では英語の勉強をする為に英会話学校に一年通いました。東京でも刺激的な世界でしたが、やはり海外に行きたいという気持ちが強くあったので、海外放浪の旅に行く事にしたんです。それから本当にいろんな経験、体験をしました。いろんな人にも巡り会い、今でも付き合いのある方もいますね。

いろいろ日本や世界を放浪する中で、”放浪の旅”、最後はオーストラリアにいました。その時は、”ジャパニーズマッサージ” とかいってね、自己流のマッサージで稼いで生活をしていました。実は兄が針灸師でして、自分なりには少しは勉強していたんです。しかし26歳の時に親父が亡くなったんです。それをきっかけにオーストラリア(放浪の旅)から奄美に帰ってきました。

ある日、地元の本屋で、”浪越指圧” の本を見つけたんです。何せ今までは自己流でしたが、その本をみたら「なんだ、こうやらなくてはいけないんだ」てことを知り、これはちゃんと勉強してみようと思ったんです。私の大叔父に100才まで現役だった鍼灸師の名人がいて、兄も鍼灸師。小さい時から東洋医学の環境にいたのですが、まさか自分がこの世界に入りるとは思いも付かなかったです。

指圧の学校に2年間行きました。が、実は、私は有り金の殆どを使ってしまったが為に学費が払えなかったんです。当時は確か200万だったと記憶しています。その時に友人が、ぽん、と「これで学校へ行ってこい」と全額出してくれました。彼がコツコツ貯めたお金なのに、、今でもその感謝は忘れていません。おかげで、無事に国家資格をとることができ、今の自分がいます。

その後、また海外に行って生活しようと思っていましたが、結婚して双子ができてたの、さすがに双子を連れて海外にはいけないなと思い、私の恩師である師匠に弟子入りして、もっと勉強してこの道を極めていこうと思ったんです。そして二十数年、今に至るという感じです。

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どういう想いをもって今の仕事をやられているんですか?

”健康”をその人に戻す事、ですね。気づいてほしいんです。健康というものを考えないで生活する事の大切さを。最近、本当に思うのはもっと気楽に考えてもいいんじゃないかって、いろんな意味でね。でも人間ってやっぱり弱いからね、やっぱり誰かに聞いてほしい、理解してほしいんですよね。そういう意味で私がそういったサポートができればなと思っています。

患者さんに言われて嬉しいのは、「元気になりました」「良くなりました」っていうのはもちろん嬉しいんだけど、「私、こういうことに気づいて、自分でこういうふうに健康管理してます」っていうのが一番嬉しいですね。

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中さんにとって、縁側ってどんな場所なんでしょう?

寝そべるところ。窓がなく、風がふく、ホッとする場所ですよね。

昔、奄美の実家には、庭に小池があったんです。小学校5、6年生の頃かな、私はその池の掃除などをするのが家での担当になっていました。家に帰ってきて、池の一仕事を終えて、そのままぱっと縁側で寝そべるんですよね、それは気持ちよかった記憶があります。あとね、縁側でいいなと思うのは、例えばある家に伺って、縁側に座るでしょ、するとお茶がでてきますよね、そこで堅苦しい話もなくね、天気の話とか、最近どうかね、みたいな気軽な世間話ができるところですね。縁側で小難しい討論はいらないですからね。

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※「けんいちろうと縁側」では、中さんと各分野でがんばってられる方々との縁側トークをはじめ、中さんの日頃の気づきなどを展開してゆきます。

縁側トーク、第1回目のゲストは、鳶頭(かしら)の山口政五郎さんです。次回アップをお楽しみに!

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山口政五郎(やまぐち・まさごろう)

昭和6年、東京霊岸島濱町(現在の中央区新川)に、濱町抱鳶頭・山口重次郎の長男として生まれる。昭和19年、14歳で鳶の世界に入る。平成5年、労働省の「現代の名工」100人の1人として卓越技能賞受賞。平成6年、黄綬褒章受章。
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2011年06月28日

狂言 x Voice detox 講座 かわはら ゆな

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かわはら ゆな

凛とした立ち振る舞いで、ウラハラ藝大の舞台にたつ。

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ウラハラ藝大で『原宿オーディション』を展開中の(株)オー・エンタープライズ所属、かわはら ゆなさんは、十数年にわたって狂言の勉強をされてきた役者さんでもある。





その、かわはら ゆなさんが 2回に渡り、狂言の発声法と、オーストラリア国立演劇学校で学んだ(通称:NIDA)Voice studies をミックスした、オリジナルの講座『狂言 x Voice detox』を開催します。声の出し方、声を出すってことの大切さ、楽しさを知る、そんな機会になりそうです。

さてさて、ところで、かわはらさんが
狂言をはじめるきっかけは何だったのでしょう?

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昔、雑誌のライターをやっていたことがあるのですが、ある狂言師の役者の方のところに取材に行ったときに、素直に『狂言かっこいい!』て思い、私も是非やってみたくなったのがきっかけです。それから狂言をはじめ、ご縁ありまして野村万蔵先生のところにお世話になっています。狂言の勉強をはじめて、はやくも10年経ちますね。

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狂言の魅力ってなんでしょう?

やはりシンプルで笑えるストーリーが600年かけてシェイプされて、本当に面白いものだけが残っていて、それが現代にでも笑える話題であるところですかね。そのあたりは魅力ですし、室町時代という華やかで割と女性が強い時代にうまれたものなので、謡がイキなところです。

現代は狂言と能をバラバラにやることがあるのですが、本来はふたつ合わせて能学といって、この能楽はギリシャ悲劇のつくりによく似ているんです。悲しいお話の中にコメディが入っている。陰と陽って言葉がありますが、陰(いん)= 陰(かげ)っていうのが悲しい話、陽が明るい話、この2つががっちり組合わさった世界の中で存在するのが能楽で、陰が能、陽が狂言、という世界ができあがるんです。陰陽は昔の中国からある考え方ですが、世界中どこへ行っても通じる考え方ですからね。

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狂言の舞台では、「今日は雨が降っているので、カラッとやりましょう」と、シテ(主役)が舞台の上で方向性を決めてやっていきます。相手役はそのシテの意向を理解し、そのシテのリズムに合わせていくんです。今日は暑いぞ、晴れているぞってときはあんまりぎゃんぎゃん明るくやってしまうと、もう暑苦しいというふうになってしまうので、少ししっとりといきましょうという方向付けする。それをコントロールしていくのがシテの技で観客の顔をみて空気を読んで、その舞台にたった時に決めるんです。テンポ、スピード、ムード、テンションですよね。全ての音、気候、臭い、環境、今の時代とか、そういうものを考えながら舞台をつくっていくの狂言なんです。舞台監督はいません、演出家っていうのは主役であるシテがやっていくんですね。

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これ(※上写真)がオーストラリア国立演劇学校(通称:NIDA)で使っているドラマの教科書です。まず古代ギリシャの事を習うんですが、次に何を習うのかというと、日本の能、狂言なんですよ。それだけ、歴史があり世界から尊敬されています。

「Voice studies」ってどんなものなのでしょう?あと、かわはらさんのやられる「狂言 x Voice detox」はどういった講座でしょうか?

私がやろうと思っている講座は、私のオリジナルなのですが、オーストラリア国立演劇学校時代に、勉強してきたメソッド(Voice studies)と狂言の発声法をミックスしたものなんです。Voice studies というのは、海外では俳優やアナウンサー、政治家や企業でプレゼンを行なう人、学校の教師やツアーガイド等、声を使う職業の人が学ぶ西洋の発声で、歌うためでなく話すための発声法なんです。ボディーワークから入って、体をリラックスさせてから発声し、流れるようなきれいな発声をトレーニングしていきます。この Voice studies を日本の一般の方に広めたいと思ったんです。ただこれは西洋のメソッドですが、これに狂言の発声法をあわせてやる事によって日本人(日本語)の特徴やリズムを一緒にやることでより声を出す事の楽しさ、大切を体感していただければ嬉しいですね。

現代人は胸で息をすっているんですね。コンピューターやって、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、ストレスがたまっていく。声を出すって事が一番ストレスを発散できるんだと確信しています。細胞の隅々まで息をすって、わあーっと、声を出すことによって全ての細胞が活性化されていく。「もう、声をだしてしまいましょう!とにかく!」といった感じです。とてもスッキリするし、免疫力もあがっていく。演劇学校時代の先生に「日本に帰ったら日本で教えなさい」と言われました(笑)

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最近ではアメリカのアカデミー賞を受賞したこの映画にでてくるのが、いわゆる Voice studies の役割の一部なんですね。映画の中でやっていますよね、ちょっと面白い発声方法とか。そんなことも講座の中ではやっていきます。

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余談ですが、開催日の7月23日(土)、30日(土)はこのカレンダーにあるように、月がかけていっている時なんです。そういう時に声を出して発さんする事をやるっていうのは、detox的にとてもいいんですよ(笑)

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かわはら ゆな

女優&Voice detox coach

イギリス客船クイーンエリザベスII世号の乗員、日本航空グランドホステス、 広告代理店、雑誌の編集とライターを経て、CMディレクターに見いだされ 女優に転身。2000年より舞台、映画、CMに出演。また、翌年より和泉流狂言師 九世野村万蔵氏に師事。

2007年からは2年間オーストラリア国立演劇学校(通称:NIDA)のヴォイス・スタディーズ(声の研究科)に留学。ニコール・キッドマン、ラッセル・クロウ、ケイト・ブランシェット等にヴォイスを教えた、ビル・ペッパー氏(NIDAヴォイス・ヘッドコーチ)に師事。その後、NIDAのオーストラリア人俳優科学生にヴォイス・スタディーズと狂言を合わせた発声法を指導。また、女優としてもオーストラリアの舞台、映画、CMに多数出演。2009年に帰国後、舞台や映画に出演する傍ら、ITI国際演劇協会主催の外国人俳優向け狂言ワークショップにて、狂言指導の通訳を務める。2010、2011年には杏林大学にてゲスト講師として『演劇文化論(豪州)』を講義。また、即興の水墨画ライブペイントにも参加し、狂言の居語りとして出演。水墨画xギターx笛x笙とのコラボレーションを果たす。女優活動を続けながらライフワークとして狂言の居語り、謡の可能性を探求。2011年にヴォイス・デトックス設立。http://yunakawahara.jimdo.com/

7月23日(土)と7月30日(土)に行なわれる

狂言 x Voice detox 講座 の詳細は、

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をチェック!
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2011年06月22日

畑で会いましょう!

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梅雨の真っただ中。

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高田一信 教授 と タナカトウコ 教授 は畑仕事に汗をながす。

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ここは、東京の瑞穂町。高田教授の知人である、久保田正明さんの畑である。

高田教授が定期的に久保田さんの畑のお手伝いしていることあり、僕らも仲間にいれていただいた。

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久保田さんはこの畑の他、近隣数カ所で畑やっておられるが、ここでは今の時期、トマト、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリー、ズッキーニ、いんげん、たまねぎ、レタス、かぶ、ねぎ、そして、じゃがいも にいたっては8種類も育てている。

畑は4、5年前に見よう見まねではじめたという、久保田さん。今では自らの育て方を確立した。たまに農家さんからも質問がくるようになったとか。

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じゃがいも、ゴロゴロ。8種類のじゃがいもを収穫。

土の中からでてくる、宝物、””大地からのありがたい恵み””です。

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ゴロゴロでてくるのも、草むしりなど、地道な作業あってのこと。

そうです、汗する背中があってこと。

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測道側には、ひまわり を植えました。

これからの夏に元気な顔をたくさん見せてくれることでしょう。

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そんな ひまわりをカーテンにして畑のど真中で、ベジ*タベル講座をしながら、こんなバーベキューができたらいいなあと、計画中の私たちです。

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僕もジーパンまくりあげて、土に挑む。

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畑仕事は小さい頃、実家のおばあちゃんの畑を手伝って以来かも。

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撮影:高田一信

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そして、この日は畑しごと終わりに、タナカトウコ教授の友人のジム、旗の台なかよしボクシング倶楽部へ。

今年3月にオープンしたばかりのジムだ。

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トレーナーは、

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赤パン先生こと、中野吉郎さん。
第39代日本ウェルター級チャンピオン。

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そして、ウォーミングアップをするこの背中。

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高田一信教授。

ボクシングをがんばる若者を応援し、自らもボクシングで体を鍛えている”現役” ”おやじボクサー” でもある。

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キャバクラ店の経営者でもある、高田教授だが、実は、赤パン先生こと中野吉郎さんも、キャバクラで働いていたことがあるらしい。キャバクラの話、ボクシングの話、共通点のある、このお二方である。

中野さんはこのジムを通して、こどもたちにボクシングの楽しさや、挨拶、礼儀作法はもちろんのこと、人の痛みが分かる人間が育っていってほしいという。こどもたちは、打つ、打たれるのボクシングで ”痛い” を経験する。このことで、相手に対して手をだす事の意味であったり、程度、加減だったりを自然と学んでいくのだろう。

旗の台なかよしボクシング倶楽部。

”なかよし” というのは、中野吉郎、”中(なか)” ”吉(よし)” からきています。

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このお二方も、すっかり なかよし になっちゃいました。

今度はリングではなく、畑で会いましょう!
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2011年06月14日

視線の先には

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ダヴィンチの仁術

その、視線の先には、

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「我々の考えている“手術”とは、芸術家の方々とそんなにコンセプトは変わらない仕事だと思います。即ち、“作品を作る”ことですから、いかに美しく、これを作品その物(者)である患者様が納得するか、ということです。」

歯科医師・吉野敏明先生のことばである。
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2011年04月25日

いまいち、という地から

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大分県にある、鶴丸礼子教授の工房を訪ねた。

大分市内から車で45分。地理的には県のちょうど真ん中に位置する、いまいち(今市)という街に工房はある。その昔、宿場町として栄えた。今ではこの街の石畳(全長660m)が、県の名所の1つになっている。山間の街、日本むかしばなしにでてきそうな、ふく風はとても穏やかで、野鳥のなきごえが耳にやさしい、なんかそんな場所だ。

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この場所に住み込みで服作りを学ぶ1人の青年がいる。

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安東大輔さん、25歳。

服飾の専門学校を卒業したが、技術に納得いかず、鶴丸教授の元、服作りの”基礎、技術”を一から習いなおしている。

ここでいう”基礎、技術”とは、鶴丸式製図法のことをいい、一度の採寸で補正の要らない正確な原型がつくれるというものだ。服作りは製図が命。個人個人の身体にあった採寸、そして製図なくして正しく身体にあった服は作れない。1着作るのに採寸する箇所は40以上である。

原型とは、その人の皮膚を剥がしたものに等しくなければならい。つまり、原型とは第二の皮膚。鶴丸教授の服作りの感覚としては、まるい地球儀に、ぴったりと確実に皮膚を張っていくようなものだという。その例えに素直に納得できた。

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今の安東さんは、朝、昼、晩と、ピン打をひたすら訓練する毎日である。

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黙々と作業をするのが好きなんです、という安東さん。つくる過程が何より楽しいという。どんなデザイナーになりたいですか?という質問に、技術をしっかり持った人になりたいです、と答えてくれた。

国が認める資格、厚生労働大臣認定の1級技能士をとってほしいんです、鶴丸教授はいう。

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来年の6月にはここ、いまいちの工房で個展をやることになっている。卒業発表会といってもいいのかもしれない。確実な技術を培い、そしてここ いまいちの素晴らしい環境の中での生活で得た感覚で、『服飾デザイナー・安東大輔』として巣立っていかれることを楽しみにしたい。

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いまいち、という地から。
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2011年04月01日

武井れいのあなたに贈る短歌

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いれずみをボディーペイントでお気軽に 体(あなた)に広がる世界をつくる

『やろうと思っても行動に起こせていないことが多い私にとって、自分の気持ちを行動に起こせているパウラちゃんは、とても素敵だと思いました。パウラちゃんの優しくて温かい雰囲気や人柄から、パウラちゃんの思いに耳を傾けてくれる人は、きっとこの先たくさんいて、パウラちゃんの今のがんばりや思いは、プラスの力をずっと持つものだろうと思いました。』

武井れい

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グラビアアイドルという目標を掲げ、自分磨きを頑張ってきたパウラちゃんに新たな目標ができたという。それは、

「ボディペインター」になる。

今、彫り師の元で基礎を勉強をしていること教えてくれた。そして、この春からは専門のスクールにも入るという。

ダイエットをがんばろうと、はじめたパウラちゃん。決して満足のいける経過や結果ではなかったかもしれないが、新たな夢、目標に向かって、これからもがんばっていってほしい。

武井れい教授からの、あなたに贈る短歌。

いれずみをボディーペイントでお気軽に 体(あなた)に広がる世界をつくる

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がんばれ、パウラ。

※これからもパウラちゃんをかげながら見守っていきたいと思います。
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『夜☆藝』はじまる!

写真・文章:ウラ藝事務局

『夜☆藝』、それは昼にはできないあんな藝、こんな藝を披露する一夜のパーティー。

『夜★藝(R18)』オトナ限定。記念すべき第一回をちょこっとご紹介します!※今年1月後半に開催しました。

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