2011年10月28日

芽吹くものに、再び (後半)

芽吹くものに、再び (前半)、より続く

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多くの人がそうであるように、旅にでると不思議なもので朝はいつも早く起きてしまう。今朝もそうだった。

阿部さん家から歩いて、海辺まで歩く。

漁師の人たちの姿もぽろぽろ見える。
漁師さんは毎朝、海をみにくるのだという。

何か 深い ものがあるのかといろんな想像をしたが、それは昔からの日課だという。海の状態をみるという、漁にでていた時からの日課。

海をみると落ち着くのだという。

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瓦礫は撤去されて、きれいになりつつある海辺。
それでも、まだあの時の時間がいまでもところどころ残っている。

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あの時間を知らない、元気くん。
彼は、それでいい。

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家に戻ると、タナカトウコ教授と阿部さんが朝食の準備をしてくれていた。

いいにおいだ、うれしくなる。

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朝食を食べ終え、山田の海を観にいった。オランダ島。ここの周りの海の色はマリンブルー。以前、レスキュー隊で一緒だった、佐々木さん(沖縄在住)もここの海は沖縄のようだといったくらいだ。

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※山田湾を見守る荒神神社

その後、吉里吉里町という町にいった。山田町のお隣さんだ。

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ここ出身のミュージシャン、ノリシゲさんは震災後、東京から地元に戻ってきた。家族とともに。そして今、全壊した実家の跡地に手作りのバーをオープンさせるため、少しづつ準備をはじめていた(※先日無事にオープンしたばかり)《吉里吉里元気プロジェクト

午後はコンサートの集いに参加してくれる。

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そして、僕らは漁村センター向かった。

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ここで少しでも、みんなに楽しんでもらえれば、そういう想いはみな一緒だ。

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阿部さんも、心待ちにしていた、読み聞かせ。

今回は、はじめて音楽と一緒に語る。

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吉田ユウスケ&岡 優太郎

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「歩きましょう」RIA & ノリシゲ

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あっという間の時間。春に出会って、秋にまた。

次は、冬に会いましょう、阿部さん。

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大勢泊めていただきお世話になりました。
秋子さんやご友人がたと飲んだり演じたりを通じて、
人となりと感性に触れた2日間。
津波の体験談から、心あたたまる友情エピソードまで、
想像の翼がまた少し鍛えられたように思います。
ありがとうございました。
秋子さん、また予定たてましょう!

島本直尚
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お世話になりましてありがとうございました。
阿部さんの貴重な体験談と読み聞かせ、
心の深いところにしみました。
こっそりと私だけに教えてくださった
阿部さんの作戦も影ながら応援しています!!

タナカトウコ
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阿部さんへ
 
阿部さんが明るく地震の事をはなしてくれたおかげで、モヤモヤしていた頭が整理されて力が湧いてきました。本当にありがとうございました。
 
恐ろしく、悲しく、とてつもなく美しい朝の海岸を散歩しながら、ふとここにあるものを使って音を出したいと思い、拾い集めた石は今も大事に使ってます。流木は居間にかざってます。
 
吉田ユウスケ
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阿部さん、先日は大変お世話になりました。

始めて山田町に伺い各地を見てまわり
あまりの被害規模の大きさに現実を受け止めきれませんでした。

雑草の力は強く、半年間に景色を変えてしまったようで、
震災直後の風景は想像できず、
もっと早く来るべきだった、という気持と
いや、半年経ってからで良かった、という気持が
自分の中でぐるぐると回ったことが印象的でした。

実際お聞きした津波の体験は生々しかったのですが
なぜか阿部さんの語りだと明るく、
「なんとかなるもんなんだな」と安心すらしたものです。

被災地から遠く離れたところから演奏をしに行って
阿部さんと共演し、すっかりこちらが元気をもらって帰ってきました。
ありがとうございます。

感謝。

岡 優太郎
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「偶然」に感謝しています。
出会いと、生きていることに。
「自然」に驚いています。
いろいろなことが変わってしまったけど、
変わらないものがたくさんあることに。
「阿部さん」に伝えたいこと、
一緒に、この時を生きていきましょう。

「煮しめ」ごちそうさまでした☆

富岡克朗
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2011年10月08日

芽吹くものに、再び (前半)

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約半年ぶりに岩手県山田の阿部秋子さんを訪ねた。

出迎えてくれたのは、元気くん。もう、ずいぶん大きくなったもんだ。

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大きくなったのは、御神木も同じ。

半年前は裸木だったのに、今は見事に緑にすっぽりと被われている。

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※半年前、5月初旬写真

僕らが阿部さん宅に到着したのはお昼ころ。
昼食を食べながら、阿部さんは再度震災時の話、そして今現在の話をしてくれた。

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現在、阿部さん家族は、自宅から近くの仮設住宅に暮らしている。
4畳2間にキッチンとバストイレ付き。

今までの一軒家暮らしから考えると、余裕のある広さではない。

阿部さん家族は一階部分はなくなったが、かろうじて助かったこの家があり、荷物はここに置く事ができるだが、家のない人たちは、荷物にあふれ、それこそ閉塞感の中で生活している。隙間数センチという場所に何をどう収納するか、といった感じだ。

阿部さんの旦那さんは大工さん。今自ら少しずつではあるが、家を修復、建てなおしている。今年中にこちらにまた帰ってこれるよう予定しているのだという。

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震災時の様子を再度聞く。何度も。

日がたっても変わらぬ過去の事実。
それが現実。

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しかしこれも今の嬉しい現実。

塩害にも負けず、ピーマンなど野菜が豊作だ。自然は強い、命あるものは強い。阿部さんは、命あるものが元気に育っていくのをみると、元気や勇気をもらえるという。

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今回は、「ベジ*タベル・ラボ」のタナカトウコ教授も一緒だ。

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震災前、震災直後、そして今の畑の現状を教えてくれる阿部さん。



カゴにいっぱい、詰め込んで、今晩のおかずにしましょう。

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阿部さんの親友である、語り部しょーこさんも到着。今晩の宴会で、読み聞かせをしてくれるという。

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宴会はじまり、「モチモチの木」を読み聞かせてくれる、しょーこさん。その語り口は、外から聞こえてくる虫たちの鳴き声と同調し、心地よかった。

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ギターを披露してくれる、

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地元の主婦、直美さん。

褒めると、”いや、私はただの主婦ですから” と、決まって何度も答える直美さんが、なんかいい。そして阿部さんと打ち合わせ。

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それは、翌日、こんな手作りコンサートをするからです。

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※クリックで大きくなります。design by 富岡克朗

では最後に、今回の岩手山田行きメンバーの紹介をしておきましょう。

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左から、吉田ユウスケさん(didjeridoo)タナカトウコ教授(ベジ*タベル・ラボ)島本直尚(ウラハラ藝大校長)岡優太郎さん(guitar)、そして、富岡克朗さん(graphic designer)

芽吹くものに、再び (後半)につづく。
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2011年06月01日

芽吹くものに

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これが、”ワレモコウ”
あっちが、”ちぢみほうれん草”
で、それが ”スナップえんどう” ね。

ああ、これは ”しどけ” ね。

山菜や自慢の畑になる野菜や花を紹介してくれる、阿部秋子さん。
昔から知っているような気にさせてくれる、元気で親しみあふれるそんなお母さんだ。

ネットや本で勉強し、いろいろな野菜や花を育てている。

ここは、岩手県山田町、大浦の小谷鳥地区。

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青々と元気な姿をみせるこの畑にも津波は押し寄せた。畑は海水につかり、瓦礫が散乱。阿部さんは有志の方々と一緒に日々こつこつ片付け、今ではずいぶんときれいになった。

自宅前には太平洋が広がる。海辺からは数百メートルといった距離。なだらかな傾斜の先にたつ家は一階の天井まで浸水した。

阿部さん自身は当時、車で逃げようとした時、津波にさらわれたが、幸運なことに乗った車が畑の横にある木の間に挟まり助かったのだ。

「この木はね、命を助けてくれた、御神木なのよ。」

そう、阿部さんは教えてくれた。

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この日は、レスキュー隊任務を終え、岩手山田町での滞在最後の日。

畑を頑張っている、元気なお母さんがいると聞き、阿部さんを訪ねたのである。

阿部さんとはこの日が初対面だが、いろんな事をお話してくれた。

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畑の話。

海の話。

家族の話。

むかしの話。

人との出会いは、不思議なものだな、という話。

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一緒に海辺を散歩。

歩いていると、力強く、青くのびる草木をみかけることができた。

ところどころに芽吹く小さな命も。

「芽吹くものにカメラをむけてあげてね。」

と、阿部さん。そのアドバイスはとても素直に聞き入れることができた。

あたり一面は土色一色。しかし、そこに色づくもの、芽吹くもの。
それを見つけては、やさしい眼差しでみつめる阿部さんの表情が印象的だった。

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朝からおじゃまして、気がつくともう夕方になっていた。

何気ない時間も経つのはあっという間だ。

「みなさんも連れて、また、遊びにきてね。」

はい、必ず来ますね。

そう約束して阿部さん宅を、山田町をあとにした。

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芽吹くものに、これからが良い季節です。

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先日、阿部さんよりうれしいメールが届いた。

”木々の芽吹きの風景にも音を感じる季節です。我が家に新しい家族ができました。”

3月生まれの、げんきくん。

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そして、御神木にも芽が生えましたよ、と。
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畑もこんな感じに元気に育っています。
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2011年05月21日

レスキュー隊という役割

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岩手県・山田町。
山田湾の監視船である「やまだ丸」に乗り込み、海にでる。

5月はじめ、風は穏やかだ。

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以前ご紹介した、岡崎屋惣次郎氏を引き継ぎ、現地に入った。ここでは、行方不明者の捜索を行なうレスキュー隊に同行し、8日間、彼らの活動記録撮影と活動の補助を行なった。

このレスキュー隊の母体は、NPO法人「大雪りばぁねっと」という団体だが、隊員は全国各地からここ山田に集まってきた有志が主だ。北は、北海道から南は、沖縄まで。元海上自衛隊、元、現消防隊員、ライフセーバー、ダイバー、学生、そして僕のようなファトグラファーであったりと様々。捜索には、地元の漁師さんも参加している。いつも笑顔で冗談をとばし、僕ら隊員を笑わせてくれるのだが、実は彼らの息子さんも津波に流され、まだ見つかっていない。「自分の息子をどうにか見つけたい」そういう思いで共に船にのる。

行方不明者の捜索。

体力的にも精神的にも決して楽な活動ではないが、行方不明者のいる家族の方にしてみると、何より大切な任務であることは間違い。1名でも多くご遺体を発見し、家族の元に届ける。その信念で隊員は日々活動している。

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ニュースや新聞によると被災地での行方不明者の数は約9000人になる。各地で街の復旧作業が着々と進む中、捜索活動には未だ終わりが見えない状況だ。

家族のもとに届けるという、レスキュー隊の役割。

事故なく捜索が進むよう今後も見守っていきたい。がんばれ、隊員!

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参考リンク:
http://blog.goo.ne.jp/npodrn
http://blog.livedoor.jp/lifeguardo524/

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※地元の漁師さんだろう。小高い丘の上、日曜日の山田湾をバックに、「ビューティフル・サンデー」を歌いあげる。

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※「やまだのカキはおいしいよ!」とカキをふるまう、地元の漁師さん。最高にうまい!

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※こどもの日。岡崎屋惣次郎氏は、山田の街を滑走した。こどもたちの笑顔を乗せて。
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2011年04月23日

講談人力車・岡崎屋惣次郎さん、岩手県山田町より

ウラハラ藝大の研究室をつとめていただいていた、岡崎屋惣次郎さんより、被災地での体験レポートを送っていただきました。

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岡崎屋惣次郎さんは、3月30日より、2週間、岩手県山田町にてボランティア活動をして来られました。岡崎屋さんの貴重な体験をシェアさせていただきます。

以下、岡崎屋惣次郎さんより。

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友人のNPO法人、「大雪りばーねっと」北海道河川広域救難隊より依頼を受け、個人人力車メンバー二人を連れて計3名で岩手県山田町に約2週間行ってきました。母体が救難隊と言う事で、ボランティア活動は、行方不明者の捜索から、炊き出し、掃除、運搬、と多岐に渡りました。

中でも泳ぎが得意な私は、救難活動の記録写真係として、レスキュー部隊の海での活動にカメラを持ち同行する事となりました。16枚の写真は全て私が撮影したものです。※ご遺体の写っている物は削除してあります。続きを読む
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2011年04月10日

被災地に立ちおもう事

あれから1ヶ月が経過した。
まだまだ続く余震で、安心できない日々が続いている。

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僕が宮城県に入ったのは、あの日から3週間後のことだ。

地震の前日、僕はちょうど東京からの移動で九州・大分へ着いたところだった。地震発生の時、何も知らなかった、初めて知ったのは家族からの安否確認の電話でだ。もちろん揺れも感じていない。

テレビのニュースやネット上でみられる映像や情報。日に日に変わる、被災地の様子、被害にあった人の数。

九州にいては、正直いってあまりリアリティのないものだった。

その後、僕は撮影や移動で、福岡、大阪、東京に行くも、地震はやはり遠くの出来事であるような気がしてしまう。

仙台の友人や知人は、無事だと震災の数日後に連絡はもらっていた。

未曾有の大災害、テレビ越しに見る悲痛な被災者の声に愕然とするのだが、僕にはどうすることもできない。リアリティーの欠如からなのか、僕が鈍いのか、しかし気持ちが落ち着かない。もう、いくしかない。

深夜バスにのり、東京から仙台へ。

仙台市内の様子は思いのほか落ち着いていたが、24H営業のお店はほぼ閉店状態だった。都市ガスはまだ復旧してなく、人々は何日も温かいお風呂に入れてない。

僕はレンタカーを借りて、北上することにした。ガソリン供給も不安定な状況下、寝泊まりはクルマの中を覚悟。春とはいえ、東北の夜は凍える程寒い、温度計はー7℃ を表示していた。

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※東松島のコンビニで。まわりのクルマはドロを被っていた。これからの道路の状況が分かった。

昼間は自衛隊や救援物資を運ぶクルマが被災地に向かう。道路はつぶれ、砂利道で土煙の舞う中の光景はもはや僕の知ってる日本ではない。

僕の現地での移動は、交通量のまったくない時間帯を選び、深夜と早朝にした。しかし、深夜の現地は、正直ぞっとした。

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太陽が昇り、辺りが明るくなると容赦ない現実が視界へ飛び込んできた。

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僕は仙台から東松島、石巻、女川、気仙沼、そして陸前高田(岩手県)まで北上した。昼間、各地でボランティア活動をしようと思ったが、自治体によっては受け付けていないところも多くあった。

石巻、ここでは県外ボランティアも受け入れていて僕も加わった。作業は被災住民の要請を受けての瓦礫や家の家財道具の運び出しなど、とにかく力仕事だ。

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チームを組み、現地へと向かう。

僕の組んだチームは、石巻で実際に被災した学生達。彼らの新学期は5/20以降であるらしい。そして、県外からの個人的に来た人たち。一緒にいこうと仲間に呼びかけても、なかなかまとまらないので、いてもたってもいられず1人で来てしまったと教えてくれた。

現地に着く。場所は海辺から約1キロ離れた住宅街のお宅。そこに着くと家のご主人が一人で作業していた。家は無事だが1階部分は完全に浸水し、このままではとても生活できる様子ではない。畳や家具の運び出し、そしてヘドロがたまった床の掃除である。大勢の人たちが一生懸命手伝ってくれて本当に助かると、ご主人。

主人は先日まで避難所で避難生活をしていたが、電気が復活したというのもあり、ここに戻ってきて片付けをやっている。家族は奥さんの実家である新潟にいっているらしいが、1人では途方にくれる作業である。風呂には震災後一回入ったが、その後は入っていないといった。

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いろいろ家財道具を運びだし終わりのころ、ご主人がまだ見ぬ押し入れをあけた。そこは布団や写真やどこの家庭も同じであろうものが入っていたが、もちろん泥水でどうしようもない状況。今まで気力でがんばっていたご主人が肩を落とした。溜息、愚痴が自然に口からでていた。泥まみれの家族のアルバム。心折れそうな現実がある。

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配給はパンとおにぎり。炭水化物のみ。1日2回あるという。最近は数が多く、余ってしまって1人では食べきれないらしい。過剰にあるもの、まったく足りていないもの、現地の様子は毎日変わる。

派遣された僕たちの手伝いができる時間が、16時までという決まりがあり、それ以降はできない。大きい作業は終わったが、まだまだ沢山片付けが残っている状況や、ご主人の姿をみると引き上げるに後ろ髪をひかれるおもいだった。

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※自衛隊や全国から集まった消防署の方々のテント。未だ捜索活動が続く。

早朝の気仙沼市。

海岸沿いの一地区を通りかかった。

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今の光景からは、以前の街の風景は想像もつかないが、小さな漁師町だったのだろう。そこには、家の土台たちが見える。無惨な船の船頭があちらこちらに。

早朝、佇む僕に一人の男性が近づいてきてあいさつしてくれた。その人の姉家族がここに住んでいて、みんな流されてしまったのだと。誰かに聞いてもらいたい、表情がそういう感じに思えた。僕は多くは質問できなかったが、なんとも言えない気持ちになる。自分の家族がもし、と思うとやりきれなくなる。

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※穏やかな広田湾(陸前高田市)

現地滞在はたった5日間であったが、長い5日間となった。壊滅的な街をみて、被災者の方々に接し言葉では表現しきれない感情がのこった。

高速バスで東京に戻る7日の夜、また大きな地震がおこった震度6強。仙台駅近く、バスは緊急停止、車中は激しく揺れた。

余震が続く毎日、気が休まることがない。広範囲にわたっての被害、そして数多くの人々の悲痛な心境。しかし東京に戻ると、一気に過去の出来事のようになってしまう、この感覚。

被災地の方が言ってた、神戸の地震の時は人ごとにしか思えなかったと。それは正直なきもちだと思う。

自分たちにできることは何か、現状を知り、そして常に気にとめておくことだろうと思う。人はすぐに忘れる、関心がなくなるものだ。僕には忘れられないものとなった。そして今後、行動として自分にできる事は何だろうか。

★僕がお手伝いできたボランティアセンターの連絡先を掲載しておきたい。(4/7時点、人手は足りておらず、人出がほしいと受付の方がいっておられた。各自で来る希望者は、十分なガソリン、食事、長靴、軍手などの用意が必要。各自のクルマで来れなくても仙台駅からシャトルバスなどが石巻はじめ東松島に向け運行しているのでそれを利用する手もある)

石巻市:電話1(プッシュホン)0225−23−6011(or 6012)(石巻専修大学5号館/ボランティアセンター)※直接電話すると、状況を教えてくれ、作業内容や必要なものなどを教えてくれる。日に日に現状が変わるので、電話で確認するのが良いと思う。他の自治体でも受け入れ態勢のできているところ、できていないところもあるので各市町村のHPなどで確認を。
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2011年03月15日

東日本大震災について

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この写真は昨年秋に宮城を訪れた際、高台から見渡した、松島です。仙台の友人、知人の安否が心配です。仙台の友人の1人は数日間、電気も水も切断された状況で過ごし、今は山形県の山間の街に避難していると連絡をもらいました。僕は現在九州は大分にいますが、大分は普段の日常と変わらない日々で、被災地の状況をニュースでみるとなんとも複雑な気持ちになります。皆さんのご無事を心よりお祈りします。また、この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。被災された皆様、そのご家族の方々にも、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧復興をお祈りします。

ウラハラ藝大 事務局代表 瀬尾泰章

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