2011年07月25日

縁側トーク第1弾:鳶頭・山口政五郎さん

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photo: Hiroaki Seo

『縁側トーク第1弾』は、鳶頭・山口政五郎(かしら やまぐち まさごろう)さんです。

昭和6年、東京都霊岸濱町(現在の中央区新川)に、濱町抱鳶頭・山口重次郎の長男として生まれ、14歳で鳶の世界に入る。平成5年には、労働省の「現代の名工」100人の1人として卓越技能賞受賞し、翌年平成6年には、黄綬褒章受章。まさに名実共に、鳶の頭、鳶頭(かしら)です。著書に「とんびの独言―鳶頭(かしら)政五郎覚書 」(角川書店)

※聞き手:中 賢一郎教授「ケンイチロウと縁側

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いやーこの夏も暑いですね〜。しかし昔はどんな暑さだったんでしょうね?

いやあね、私たちが育ったころにはね、こんな超高層ビルがなかったからね。だから今頃の時期になると、東京湾の品川辺りからのね、もう夕方6時ころになるとね、潮風が入ってくるわけ。だから縁台に座ってても、ベタベタしてしまうんだね。ところが人形町にいくとないんだね。新川あたりまではね、この潮風が品川からずっと入ってくるけどね。だから縁台でね、年寄りが将棋や碁をやったりさあ、ベーゴマとかね。夜日が暮れるまでやってたりしたね。まあ、閃光花火なんかやったりしてね。ところがね、終わってくるとね、ベタベタなのよ。だけど今はベタベタがないってのは超高層ビルができちゃったから。そいつらがね、潮風をさえぎっちゃてるからね。まあだから昔はトタンなんかも1年もたつとサビができちゃうね。

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鳶頭に改めて、聞いちゃいますが、”鳶”って主に何をやる職業なんですか?

鳶っていうのはね、町内の抱えだからね、なんでもできないといけないんだよね。まにあわせなんだよね。祭り仕事から、大工仕事もしなくちゃいけないし、火消しなんかもしなくちゃいけない、人のお伴もしなくちゃいけないしね、要するには町内の用務員だね。分かりやすくいえば、学校の用務員みたいなね。それはもう江戸時代からそういうね、掃除から、引っ越しの手伝い、嫁さんの裁量だとか、結婚式だとか、折口(おれ(り)くち/葬式の事)だとかね、町内の行事を全部しきっているんだよね。仕切るって言葉は嫌かもしれないけど、それを全部 ”心得ていた” んだね。

なるほど。しかし鳶ってなんで鳶(とび)って呼ぶんでしょうか?

鳶ってのはさ、これはまあ仮説なんだけどね、江戸時代、将軍がね、城の上から下を眺めていてね、足場をかけて仕事している人を指してさ、家来に『あれは何だ?』って聞いたんだね。そんときに、たまたま鳥の鳶(とんび)が飛んできたんだね。だから家来は鳥の事を聞いたと思ってね、『あれは鳶でございます。』って言って鳶になったっていうね。しかし、面白い話でね、今でもたまに地方にいって名刺だすとね、『どういう鳥を飼っているんですか?』って聞かれるんだよ。鳥屋だとみんな思っているの。ハトだとか、にわとりだとかね。鳥は鳶だけ売っているんですかって。いやそうじゃない、その鳶じゃないんだって、いうわけさ(笑)

後はね、火事場道具に ”鳶口” を使うところからきているっていうのがあるんだけど、それがもっともらしい話なんだけどね。

しかし話は変わるけどね、みなさん誤解しているんだよね。メディアとかね。下町ってよくいうでしょ。ごみごみしているところを下町って呼んじゃってるでしょ。下町っていうのは、高級地なんだよ。明治8年に東京市が、要するに東京駅のところあそこはお堀なんだけどね、茅場町までね、そこまでを下町って呼んだの。下町っていうのは、『城下町』なんだよ。浅草行ってさあ、『下町』なんていってるけど、どこに城があるんだって、いうわけさ。城下町の ”城” をとって、『下町』なんだよね。

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はは、そうですね。今は何でも下町ってつけちゃってますね。ところで鳶頭は昭和6年の生まれですね。

そう。私の人生は波瀾万丈なんだよ。生まれてから、東京の、要するに平和な時代や戦争の時代も知っているわけ。下町には風情があったね。大東亜戦争があってね、物資が入らなくなってね、終戦のごたごたでもって、食うか食われないかも知ってるわけ。東京大空襲、これでみんな燃えちゃったよね、着の身着のまま逃げてきちゃったし。またね、平和っていいなっていうのも知ってるの。

昭和20年代だったかな、”文明開化” みたいなもんだからね。初めてジープみたときゃそりゃあ、ビックリしたよ。あいつら乱暴だからね、車道も歩道もないんだよ。歩道走ってくるんだよ(笑)。私はね、そんなの見てね、ジープがほしくてほしくてしょうがなくてね、仕事してね、いくらかふところが良くなって来た時、はじめに買った車はね、ジープのG3M。オープンカーでね。26、7才だったね。乗用車なんか買わなかったね、ジープだよジープ。ジープは3台潰してる。良かったね、ジープはねえ。左ハンドルでねえ。

しかし貧乏もしていたからね、お金のありがたみはよく分かっているわけだよ。お金っていうのは現金なんだよね。しかし、金がある時はどんちゃん騒ぎなんだよね、金ない時はさあ、それこそね、何にもないんだよね。俺等は貧乏しててもね、大晦日、正月ね、親なんかさ、学校の制服まで質にいれちゃってるわけだからさあ(笑)でもね、元旦ね、朝起きたらね、全部新しいもの用意されてたからね、服は新しい、下駄も新しい。ああ、良かったねってね。強烈な喜びだけが残っているんだよね。

誕生日なんかの記念日には、しっかりいいもん食わしてやんないと。今の人たちにしてみてもさあ、質素はいいんだけどね、人生には『メリハリ』がないと駄目なんだよね。明日使う金がなくても今日は、わあーっ!てやってさあ。結局、また明日から貧乏が続くんだからね。ちびちびやっててもしょうがねえんだよね。

100万円もらったら、ある時使わないと駄目なんだよ。100万の中からよう、10万を使うのは気持ちいいよ。でもさあ、10万しかないのに、ビクビクしながら10万使ってもいい気しねえよなあ。食べに連れて行ってやってさあ、精算してさあ、9万8千円でよかったってなあ、10万しかないのに、あいつらこんなに食ったけど大丈夫かなあってな。10万円超えてんじゃないのかなあって思ってんだよ。心配で飯もうまくねえよ。100万持っててさあ、みんなに食え食えいっていたら、勘定が8万くらいなんだよね。そんなもんだよな、実際は。面白いもんだよ。

夏ね、船でね、納涼大会やるんだよ。そんときにはさ、酒もビールもうんとあるんだよね。そんな時はビールはでない。1本しかないとさあ、飲まないやつまで飲んじゃう。分かる?酒も料理もそうだけどさ、わーといっぱい一気にだすと、みんな食べない、飲まないんだよね。これがちょびちょびやっちゃうとすぐになくなっちゃうんだ。1つ食えば満足しちゃうんだよね。人間の心理をつかまないと駄目ね。よくいうんだよ、経営者はみんなの心理をつかまないとってね。

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いやあ、さすがですね。なにか今の若者に伝えたいことってありますか?

やっぱり、士農工商の文化が一番いいね。私がいっているのはね、士農工商を2つに分けるわけ、大と小と。大規模、小規模って感じだね。だからね、日本にね、8つの文化があるんだよ。8つのね、生活の基盤があるのね。

これ、俺のやり方なんだけどね。1つ、

金銭の有るやつ金銭(カネ)をだせ。
金銭(カネ)の無いうやつ知恵をだせ。
何んにも無いやつ汗をかけ。


ってね。

金の出すやつは、金だけだしときゃいいんだよね。条件つけちゃいけない。アイディアある奴にまかせときゃいいんだよ。で、何もない奴は、はい!はい!って一所懸命動けばいいんだよ。これが経営の元だね。全て『分』だから。金やアイディアなくても、一所懸命働く奴はそれはそれで男になるんだよ。金持ちが全てじゃない。

でもね、これが厄介でね、金のあるやつは条件をつけたがるんだよ。しかしね、それをやちゃあ、金が死ぬんだよな。金出す奴はさ、1人は知っているけど、全体の心をつかんでないんだよ。今、みんなは何がほしいのか?金もらってね、1万円づつわけたほうがみんなが喜ぶのか、みんなでもって、お揃いの作業着を買ったほうが喜ぶのか、それともみんなが食べた事のないようなビーフステーキを食べさせた方がいいのか。知恵のあるやつの問題なんだね。それによってお金を出したやつが ”しつたつ” わけ。
※”しつたつ”とは、鳶の業界用語で、”たつ” という意味。

何にもないやつは、yesマンで、なんでもやってりゃいいんでね。ほんと人間は『分』だから。

この通りやれば、その道で、どの道でもさ、その道の一流なんだよね。
ほんと『分』なんだよね。

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いやあ、いいですね。ところで、今は夏でほんと暑いですが、鳶の仕事では体調管理ってどうやっているんですか?

今さあ、ペットボトルなんかもってる若い奴がいっぱいいるだろ。がぶがぶ飲み過ぎなんだよね。しょっちゅう飲んでんだろ。ああいうのはね、バテちゃうね。ロードレースはできないね。飲み過ぎは、水で疲れちゃうんだね。夏なんかさあ、朝の7時から夜の7時までだもんね。水飲む奴はバテちゃうね。作業場には水もあるけど、塩や梅干しも置いてんだよね。夕方3時までにがっちり飲めば、夜までいくよ。でも3時以降に水飲んじゃバテちゃうね。午前中の汗と、昼からの汗と、午後3時以降の汗は違うんだよね。午後3時以降の汗は、疲労の汗なんだよね。俺等、そういうの経験というか身体でしっかり違いがわかるんだよね。しかし飲み方考えれば、みんなバテないんじゃないかな。

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さてさて、他にも興味深い話はありますが、このヒートアップする鳶頭(かしら)の話を一般の方にも聞いていただきたく、8月28日(日)13時〜 鳶頭・山口政五郎さんをむかえて、『鳶頭が伝える時代とともに生きた教科書』と題し、縁側トーク(座談会)を開催致します。

”鳶頭の哲学” を肌で感じてみてください。”イキ” ってやつが、"やっぱりこうでなくちゃ" って事がたくさんみつかるはずですよ。

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『鳶頭が伝える時代とともに生きた教科書』

縁側ゲスト:鳶頭・山口政五郎さん

日時: 8月28日(日曜日)13時〜15時(2時間)
場所: ウラハラ藝大
参加費:2000円
定員: 12名(※事前予約が必要です)


※いろんな質問大歓迎!!
※ペットボトルはご持参いただいても大丈夫です(笑)

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参加をご希望の方は、

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より、お申し込みください。

お待ちしております!
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2011年07月14日

岩手山田の”ホタテ参上”、おいしい書道も、御神木に。

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ホタテ参上・カペサンテ和也、火加減をみる。

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実はこのホタテ、正真正銘、岩手県山田町 から届いたものだ。

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※届いた時の状態。殻付きです。

山田からホタテが届いたとなると黙ってはいられないのが、カペサンテ和也。

バター焼き、塩焼き、そしておさしみと、ホタテの豆知識を喋りながら、おいしくふるまってくれた。

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こんがり、色づくホタテ。

こぶりながら、肉質はよい。

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おいしいものを味わったらその想いを書くしかない。「おいしい書道」日置恵教授にならい、みんなで ”ホタテ" と書く。

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カペサンテ和也も手を休め、一筆いれる。

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(注)カペサンテとは、スペイン語でホタテという意味です。

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岩手山田産はどうですか?と訪ねると、「うん、いいですね」とクールに返答する、カペサンテ。今後のホタテ業界に何を見つめているだろうか。

三陸のホタテを食す。
このホタテ…ただのホタテではない。
あの大地震、大津波を生き延びて、我々の元に届けられたホタテである。
姿形は小さくとも、津波に流されなかったホタテ。
その生命を頂く事に感謝。


by カペサンテ和也

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そして、、、

この日 岩手県山田町の 阿部秋子 さんより、山田産わかめ などの海産物、そして野菜スティックの友 お手製の"ピーマンもろみ味噌" が届いた。

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筆をとる、日置恵教授。

阿部さんの為に書いてくれたのは、

「御神木」 の文字だ。

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※2011.6.1掲載「芽吹くものに」より

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そしてこの文字は先日、岩手県山田町の阿部さんのお宅に届き、

阿部さんから、写メとメッセージをいただいた。

『元気くんも大きくなりました。小谷鳥は緑に包まれ静かに鳥が鳴いてます。あのタンポポは綿毛を飛ばし新しい命のバトンタッチ 胡桃も沢山実を着けてます。』

山田の息吹を感じる事ができる、なんとも嬉しいやりとりです。

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2011年07月01日

けんいちろうと縁側/教授就任記念インタビュー・中 賢一郎

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通り抜ける風は、心地よく、
縁側で、ぼおっとしてみる大切さ。

奄美大島出身、中 賢一郎。

若かりし頃、いろんな場所で生活をしてきた。ヨーロッパ、中近東、西アジア、世界を放浪した時期。札幌すすきののキャバレーで働いた時もあった、お茶の行商として東北関東を回った時期もあった。アメリカに渡った時は、LAの鉄板焼きのレストランでシェフもやった。そして船乗りを目指し、メキシコまで航海をした。ニュージーランド、オーストラリアで遊びほうけた時期もあった。

26歳の時、父を亡くした。母親からの「健康が一番」という言葉を胸に、それから正體師(せいたいし)として患者さんの健康を見守っている。

そんな中 賢一郎さんが、ウラハラ藝大教授に就任です!

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中さんは、奄美大島のご出身ということですが、どんな家に住まれ、どんな子ども時代を過ごされましたか?

今はもう私が生まれ育った家はないのですが、高床式の家でね、庭がありその向こうはすぐ海でした。昔は防波堤なんか何もなかったから台風による被害っていうのは何度も受けましたけどね。風はぬけていく感じで、ドアも窓も開けっ放しによくしていましたね。

子どもの頃は、ずっと遊んでました。海、山、川、すべてが遊び場でしたから。その中でも家の前にある砂浜が一番の遊び場でしたね。野球をやったり、チャンバラやったりね。友達が牛飼っていたのを、砂浜に連れてきては乗ったりして遊んでました。砂浜の木陰にいくと涼しくてね、そこでよく昼寝してた記憶もありますね。ハブも沢山いるのですが、ハブは夜行性なので昼間は木の上で休んでいて、それを見つけては棒でつっついて落としたりしてました。自分で釣り竿つくって、えさも用意して、朝から晩まで釣りして遊んだりね。ああそういえば、夜にはカニが沢山でてきてね、それを観察してたりもしてましたね。

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そんな子ども時代、何か将来の夢はありましたか?

ありました。世界を見てみたい!、そういう漠然とした夢ですね。小学校5年生の時の事ですが、インドの舞踊団が僕らの町に来たんです。そのインドの舞踊団の中に私と同じ年代くらいの少年がいたんですね。で、その少年と目が合ったんです。顔の色、目の色が違うんですよね。それで、僕は、「この少年は私をみてどう思っているのかな」って思いましてね、その夜、砂浜で星空を見た時に、違う国に行ったら、そこからも同じ星空が見えるのかなあって・・・そこからですね、海外に行ってみたい!と思ったのは。その当時、クリーンエリザベスという客船が憧れの時代だったんですが、それで航海したいなと思ってました。

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その後はいつから奄美を離れたんですか?

高校進学と同時に、奄美を離れて鹿児島で下宿生活をはじめました。親元を離れ、生活をしはじめた頃思ったのは「この世の中、頭で行きていく人と体で生きていく人がいるんだろうなっ」って。そこで僕は思いましたね「僕は体でいこう」と。

高校卒業する時、兄は東京に住んでいたのですが、兄が私にも東京にでてこいよと、というんです。いろんな生き方があるから、いろいろ見てみろってね。東京では英語の勉強をする為に英会話学校に一年通いました。東京でも刺激的な世界でしたが、やはり海外に行きたいという気持ちが強くあったので、海外放浪の旅に行く事にしたんです。それから本当にいろんな経験、体験をしました。いろんな人にも巡り会い、今でも付き合いのある方もいますね。

いろいろ日本や世界を放浪する中で、”放浪の旅”、最後はオーストラリアにいました。その時は、”ジャパニーズマッサージ” とかいってね、自己流のマッサージで稼いで生活をしていました。実は兄が針灸師でして、自分なりには少しは勉強していたんです。しかし26歳の時に親父が亡くなったんです。それをきっかけにオーストラリア(放浪の旅)から奄美に帰ってきました。

ある日、地元の本屋で、”浪越指圧” の本を見つけたんです。何せ今までは自己流でしたが、その本をみたら「なんだ、こうやらなくてはいけないんだ」てことを知り、これはちゃんと勉強してみようと思ったんです。私の大叔父に100才まで現役だった鍼灸師の名人がいて、兄も鍼灸師。小さい時から東洋医学の環境にいたのですが、まさか自分がこの世界に入りるとは思いも付かなかったです。

指圧の学校に2年間行きました。が、実は、私は有り金の殆どを使ってしまったが為に学費が払えなかったんです。当時は確か200万だったと記憶しています。その時に友人が、ぽん、と「これで学校へ行ってこい」と全額出してくれました。彼がコツコツ貯めたお金なのに、、今でもその感謝は忘れていません。おかげで、無事に国家資格をとることができ、今の自分がいます。

その後、また海外に行って生活しようと思っていましたが、結婚して双子ができてたの、さすがに双子を連れて海外にはいけないなと思い、私の恩師である師匠に弟子入りして、もっと勉強してこの道を極めていこうと思ったんです。そして二十数年、今に至るという感じです。

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どういう想いをもって今の仕事をやられているんですか?

”健康”をその人に戻す事、ですね。気づいてほしいんです。健康というものを考えないで生活する事の大切さを。最近、本当に思うのはもっと気楽に考えてもいいんじゃないかって、いろんな意味でね。でも人間ってやっぱり弱いからね、やっぱり誰かに聞いてほしい、理解してほしいんですよね。そういう意味で私がそういったサポートができればなと思っています。

患者さんに言われて嬉しいのは、「元気になりました」「良くなりました」っていうのはもちろん嬉しいんだけど、「私、こういうことに気づいて、自分でこういうふうに健康管理してます」っていうのが一番嬉しいですね。

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中さんにとって、縁側ってどんな場所なんでしょう?

寝そべるところ。窓がなく、風がふく、ホッとする場所ですよね。

昔、奄美の実家には、庭に小池があったんです。小学校5、6年生の頃かな、私はその池の掃除などをするのが家での担当になっていました。家に帰ってきて、池の一仕事を終えて、そのままぱっと縁側で寝そべるんですよね、それは気持ちよかった記憶があります。あとね、縁側でいいなと思うのは、例えばある家に伺って、縁側に座るでしょ、するとお茶がでてきますよね、そこで堅苦しい話もなくね、天気の話とか、最近どうかね、みたいな気軽な世間話ができるところですね。縁側で小難しい討論はいらないですからね。

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※「けんいちろうと縁側」では、中さんと各分野でがんばってられる方々との縁側トークをはじめ、中さんの日頃の気づきなどを展開してゆきます。

縁側トーク、第1回目のゲストは、鳶頭(かしら)の山口政五郎さんです。次回アップをお楽しみに!

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山口政五郎(やまぐち・まさごろう)

昭和6年、東京霊岸島濱町(現在の中央区新川)に、濱町抱鳶頭・山口重次郎の長男として生まれる。昭和19年、14歳で鳶の世界に入る。平成5年、労働省の「現代の名工」100人の1人として卓越技能賞受賞。平成6年、黄綬褒章受章。
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