2011年04月25日

いまいち、という地から

_MG_4873.jpg

大分県にある、鶴丸礼子教授の工房を訪ねた。

大分市内から車で45分。地理的には県のちょうど真ん中に位置する、いまいち(今市)という街に工房はある。その昔、宿場町として栄えた。今ではこの街の石畳(全長660m)が、県の名所の1つになっている。山間の街、日本むかしばなしにでてきそうな、ふく風はとても穏やかで、野鳥のなきごえが耳にやさしい、なんかそんな場所だ。

_MG_4866.jpg

この場所に住み込みで服作りを学ぶ1人の青年がいる。

_MG_4812.jpg

安東大輔さん、25歳。

服飾の専門学校を卒業したが、技術に納得いかず、鶴丸教授の元、服作りの”基礎、技術”を一から習いなおしている。

ここでいう”基礎、技術”とは、鶴丸式製図法のことをいい、一度の採寸で補正の要らない正確な原型がつくれるというものだ。服作りは製図が命。個人個人の身体にあった採寸、そして製図なくして正しく身体にあった服は作れない。1着作るのに採寸する箇所は40以上である。

原型とは、その人の皮膚を剥がしたものに等しくなければならい。つまり、原型とは第二の皮膚。鶴丸教授の服作りの感覚としては、まるい地球儀に、ぴったりと確実に皮膚を張っていくようなものだという。その例えに素直に納得できた。

_MG_4734.jpg

今の安東さんは、朝、昼、晩と、ピン打をひたすら訓練する毎日である。

_MG_4861.jpg

MG_4733.jpg

MG_4790.jpg

_MG_4804.jpg

_MG_4876.jpg

黙々と作業をするのが好きなんです、という安東さん。つくる過程が何より楽しいという。どんなデザイナーになりたいですか?という質問に、技術をしっかり持った人になりたいです、と答えてくれた。

国が認める資格、厚生労働大臣認定の1級技能士をとってほしいんです、鶴丸教授はいう。

_MG_4887.jpg

来年の6月にはここ、いまいちの工房で個展をやることになっている。卒業発表会といってもいいのかもしれない。確実な技術を培い、そしてここ いまいちの素晴らしい環境の中での生活で得た感覚で、『服飾デザイナー・安東大輔』として巣立っていかれることを楽しみにしたい。

_MG_4894.jpg

いまいち、という地から。
posted by seo at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事

2011年04月23日

講談人力車・岡崎屋惣次郎さん、岩手県山田町より

ウラハラ藝大の研究室をつとめていただいていた、岡崎屋惣次郎さんより、被災地での体験レポートを送っていただきました。

2011.4.30okazakiya.jpg


岡崎屋惣次郎さんは、3月30日より、2週間、岩手県山田町にてボランティア活動をして来られました。岡崎屋さんの貴重な体験をシェアさせていただきます。

以下、岡崎屋惣次郎さんより。

==================

友人のNPO法人、「大雪りばーねっと」北海道河川広域救難隊より依頼を受け、個人人力車メンバー二人を連れて計3名で岩手県山田町に約2週間行ってきました。母体が救難隊と言う事で、ボランティア活動は、行方不明者の捜索から、炊き出し、掃除、運搬、と多岐に渡りました。

中でも泳ぎが得意な私は、救難活動の記録写真係として、レスキュー部隊の海での活動にカメラを持ち同行する事となりました。16枚の写真は全て私が撮影したものです。※ご遺体の写っている物は削除してあります。続きを読む
posted by seo at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災関連

2011年04月10日

被災地に立ちおもう事

あれから1ヶ月が経過した。
まだまだ続く余震で、安心できない日々が続いている。

_MG_3878.jpg

僕が宮城県に入ったのは、あの日から3週間後のことだ。

地震の前日、僕はちょうど東京からの移動で九州・大分へ着いたところだった。地震発生の時、何も知らなかった、初めて知ったのは家族からの安否確認の電話でだ。もちろん揺れも感じていない。

テレビのニュースやネット上でみられる映像や情報。日に日に変わる、被災地の様子、被害にあった人の数。

九州にいては、正直いってあまりリアリティのないものだった。

その後、僕は撮影や移動で、福岡、大阪、東京に行くも、地震はやはり遠くの出来事であるような気がしてしまう。

仙台の友人や知人は、無事だと震災の数日後に連絡はもらっていた。

未曾有の大災害、テレビ越しに見る悲痛な被災者の声に愕然とするのだが、僕にはどうすることもできない。リアリティーの欠如からなのか、僕が鈍いのか、しかし気持ちが落ち着かない。もう、いくしかない。

深夜バスにのり、東京から仙台へ。

仙台市内の様子は思いのほか落ち着いていたが、24H営業のお店はほぼ閉店状態だった。都市ガスはまだ復旧してなく、人々は何日も温かいお風呂に入れてない。

僕はレンタカーを借りて、北上することにした。ガソリン供給も不安定な状況下、寝泊まりはクルマの中を覚悟。春とはいえ、東北の夜は凍える程寒い、温度計はー7℃ を表示していた。

_MG_3923.jpg
※東松島のコンビニで。まわりのクルマはドロを被っていた。これからの道路の状況が分かった。

昼間は自衛隊や救援物資を運ぶクルマが被災地に向かう。道路はつぶれ、砂利道で土煙の舞う中の光景はもはや僕の知ってる日本ではない。

僕の現地での移動は、交通量のまったくない時間帯を選び、深夜と早朝にした。しかし、深夜の現地は、正直ぞっとした。

_MG_3954.jpg




太陽が昇り、辺りが明るくなると容赦ない現実が視界へ飛び込んできた。

_MG_4005.jpg

_MG_4022.jpg

_MG_4146-5902a.jpg

_MG_3935.jpg



僕は仙台から東松島、石巻、女川、気仙沼、そして陸前高田(岩手県)まで北上した。昼間、各地でボランティア活動をしようと思ったが、自治体によっては受け付けていないところも多くあった。

石巻、ここでは県外ボランティアも受け入れていて僕も加わった。作業は被災住民の要請を受けての瓦礫や家の家財道具の運び出しなど、とにかく力仕事だ。

2_2011-04-05 15.33.13.jpg

チームを組み、現地へと向かう。

僕の組んだチームは、石巻で実際に被災した学生達。彼らの新学期は5/20以降であるらしい。そして、県外からの個人的に来た人たち。一緒にいこうと仲間に呼びかけても、なかなかまとまらないので、いてもたってもいられず1人で来てしまったと教えてくれた。

現地に着く。場所は海辺から約1キロ離れた住宅街のお宅。そこに着くと家のご主人が一人で作業していた。家は無事だが1階部分は完全に浸水し、このままではとても生活できる様子ではない。畳や家具の運び出し、そしてヘドロがたまった床の掃除である。大勢の人たちが一生懸命手伝ってくれて本当に助かると、ご主人。

主人は先日まで避難所で避難生活をしていたが、電気が復活したというのもあり、ここに戻ってきて片付けをやっている。家族は奥さんの実家である新潟にいっているらしいが、1人では途方にくれる作業である。風呂には震災後一回入ったが、その後は入っていないといった。

2_2011-04-05 11.50.58.jpg

2_2011-04-05 14.01.59.jpg

いろいろ家財道具を運びだし終わりのころ、ご主人がまだ見ぬ押し入れをあけた。そこは布団や写真やどこの家庭も同じであろうものが入っていたが、もちろん泥水でどうしようもない状況。今まで気力でがんばっていたご主人が肩を落とした。溜息、愚痴が自然に口からでていた。泥まみれの家族のアルバム。心折れそうな現実がある。

2_2011-04-05 12.39.58.jpg

配給はパンとおにぎり。炭水化物のみ。1日2回あるという。最近は数が多く、余ってしまって1人では食べきれないらしい。過剰にあるもの、まったく足りていないもの、現地の様子は毎日変わる。

派遣された僕たちの手伝いができる時間が、16時までという決まりがあり、それ以降はできない。大きい作業は終わったが、まだまだ沢山片付けが残っている状況や、ご主人の姿をみると引き上げるに後ろ髪をひかれるおもいだった。

_MG_4049.jpg
※自衛隊や全国から集まった消防署の方々のテント。未だ捜索活動が続く。

早朝の気仙沼市。

海岸沿いの一地区を通りかかった。

_MG_4080.jpg

今の光景からは、以前の街の風景は想像もつかないが、小さな漁師町だったのだろう。そこには、家の土台たちが見える。無惨な船の船頭があちらこちらに。

早朝、佇む僕に一人の男性が近づいてきてあいさつしてくれた。その人の姉家族がここに住んでいて、みんな流されてしまったのだと。誰かに聞いてもらいたい、表情がそういう感じに思えた。僕は多くは質問できなかったが、なんとも言えない気持ちになる。自分の家族がもし、と思うとやりきれなくなる。

_MG_4254.jpg
※穏やかな広田湾(陸前高田市)

現地滞在はたった5日間であったが、長い5日間となった。壊滅的な街をみて、被災者の方々に接し言葉では表現しきれない感情がのこった。

高速バスで東京に戻る7日の夜、また大きな地震がおこった震度6強。仙台駅近く、バスは緊急停止、車中は激しく揺れた。

余震が続く毎日、気が休まることがない。広範囲にわたっての被害、そして数多くの人々の悲痛な心境。しかし東京に戻ると、一気に過去の出来事のようになってしまう、この感覚。

被災地の方が言ってた、神戸の地震の時は人ごとにしか思えなかったと。それは正直なきもちだと思う。

自分たちにできることは何か、現状を知り、そして常に気にとめておくことだろうと思う。人はすぐに忘れる、関心がなくなるものだ。僕には忘れられないものとなった。そして今後、行動として自分にできる事は何だろうか。

★僕がお手伝いできたボランティアセンターの連絡先を掲載しておきたい。(4/7時点、人手は足りておらず、人出がほしいと受付の方がいっておられた。各自で来る希望者は、十分なガソリン、食事、長靴、軍手などの用意が必要。各自のクルマで来れなくても仙台駅からシャトルバスなどが石巻はじめ東松島に向け運行しているのでそれを利用する手もある)

石巻市:電話1(プッシュホン)0225−23−6011(or 6012)(石巻専修大学5号館/ボランティアセンター)※直接電話すると、状況を教えてくれ、作業内容や必要なものなどを教えてくれる。日に日に現状が変わるので、電話で確認するのが良いと思う。他の自治体でも受け入れ態勢のできているところ、できていないところもあるので各市町村のHPなどで確認を。
posted by seo at 12:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 東日本大震災関連

2011年04月01日

武井れいのあなたに贈る短歌

MG_0484.jpg

いれずみをボディーペイントでお気軽に 体(あなた)に広がる世界をつくる

『やろうと思っても行動に起こせていないことが多い私にとって、自分の気持ちを行動に起こせているパウラちゃんは、とても素敵だと思いました。パウラちゃんの優しくて温かい雰囲気や人柄から、パウラちゃんの思いに耳を傾けてくれる人は、きっとこの先たくさんいて、パウラちゃんの今のがんばりや思いは、プラスの力をずっと持つものだろうと思いました。』

武井れい

MG_0536.jpg

グラビアアイドルという目標を掲げ、自分磨きを頑張ってきたパウラちゃんに新たな目標ができたという。それは、

「ボディペインター」になる。

今、彫り師の元で基礎を勉強をしていること教えてくれた。そして、この春からは専門のスクールにも入るという。

ダイエットをがんばろうと、はじめたパウラちゃん。決して満足のいける経過や結果ではなかったかもしれないが、新たな夢、目標に向かって、これからもがんばっていってほしい。

武井れい教授からの、あなたに贈る短歌。

いれずみをボディーペイントでお気軽に 体(あなた)に広がる世界をつくる

_MG_1202.jpg

がんばれ、パウラ。

※これからもパウラちゃんをかげながら見守っていきたいと思います。
posted by seo at 11:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事

『夜☆藝』はじまる!

写真・文章:ウラ藝事務局

『夜☆藝』、それは昼にはできないあんな藝、こんな藝を披露する一夜のパーティー。

『夜★藝(R18)』オトナ限定。記念すべき第一回をちょこっとご紹介します!※今年1月後半に開催しました。

420_IGP1174.jpg

420_IGP1186.jpg

420_IGP1190.jpg

続きを読む
posted by seo at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 記事