2009年01月26日

Pick-up教授・ハ ジョンナム・感じたいカタチ。

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トーキョーガイジン主催のハ ジョンナム教授。

みんなのよりどころになれれば嬉しい、語学を学びながら、と始めたトーキョーガイジンも2月いっぱいで終了する。

ハ教授、ニューヨークへと旅立つからだ。

引き継いで、『トーキョーガイジン』を主催してくださる方がでてきてほしいと願うハ教授。

ハ教授にはニューヨークへいっても現地からのレポートを楽しみにしたい。

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このクラスを提案しようと思ったきっかけ。そして見えてきた大事 なものとは?

『みんなが気軽に集まれる場所を作りたかったんです。それも日本語を学ぶって事で。今日、時間空いたから、トーキョウガイジン行ってみよーって。

まず自分の留学経験から考えても、外国で暮らす事って本当に大変だと思うんです。

でも、そんな海外で自分に電話をくれたり、パーティーに誘ってくれたり、自分の事を気にしてくれる人がいるんだな〜って、感じるだけですごく元気になれる。

実際のところ、学校にいったり、バイトや仕事して、その時、その場所での友達はいるんですが、結構みんな休みの時っていうのは、孤独な時間が多いんです。

さびしい気持ちになるんですよね。だからそんな壁を破れるような、友達をつくりたいっていうのがいいですよね。

そして、個性って本当に大切だと思います。このトーキョーガイジ ンのクラスは一人のコの個性を生かせる機会ースポットがあたる時があるんです。

その瞬間にそのコはすごく輝きますね。そしてそのコ自身が変われると思います。

ちょっとした事が励みになったり、すごく小さなきっかけかもしれませんが、すごく大切な事なんです。

教室に来て、ただ日本語を習うのではなく、海外(日本)で暮らしながらも、自分の存在価値を見いだせる。そんな機会を作りたいと思ってます。

でも、これはボランティアって訳じゃないんです。私を含めてのプログラムかな。

そして私自身感じたいですね、人間の絆ってカタチ。

やっぱり、見えてきたのは、形式や物事の上っ面じゃなくて、ここに集まってくる人の心のまなざしがギラッと光るそれが、人間くささであり、また『人間力』だってことをね。』

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☆人間力!まさにそのとおりだ。

人間力なくして何も動かせないと思う。

ハさんって、やさしいしナチュラルユーモアのかかったオーラでみんなを和やかな笑いに包むよな、、。それがハさんの人間力なんだな。

たくさんの人種の共存するニューヨークに行ってもハさんらしくやってゆくのだろうな。、、、人と人の、そう、和やかにつながる架け橋になっていかれるだろう。

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韓国料理 韓亭 福味。お座敷での一枚。

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余談ですが、キッチンを覗くと、チーフの長嶺 勇さんが大根の桂むきをおこなっていました。

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技あり日本。 

ニューヨークではそんな注目をされる、技ありハ教授 を目指して頂きたいです。

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2009年01月19日

ゲスト教授・建築家・青木茂 〜そこがターニングポイント〜

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リファイン建築の先駆者である建築家の 青木 茂 氏に話しを聞いた。

常に現状に満足せず一歩一歩前進していく姿、そう、
すべてはそこがターニングポイントだ。

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建築家になるきっかけは何だったんでしょう?

建築家を志そうと思ったきっかけってなかったんですよ。

大学を卒業して建築会社に入ったんですよね、で、そこで働いている人をみていると大体先がみえたんです。30歳なったらああなって、40、50になったらああなってってね。

その時に若干こう楽しくないだろうなと思ったんですよね。その頃、私の親父は土建会社を経営していたんですけど、私に後を継げと、、、そんなこともあって8ヶ月でその建築会社やめて実家に帰ったんですよ。

土建業ですからもちろん土方をさせられたわけですよね。結局は4年間やりましたけど(笑)、半ばくらいからね、これはもっと面白い事できるんじゃないかなあって漠然と思っていたんですよ。いえ、仕事自体はすごく面白かったんですよ、体動かすの好きだったしね。

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それであと継ぐのやめるっていってね、私、昔から少林寺拳法やっててね、少林寺拳法の道場開いたんです。

27歳の時でした。でまあ、少林寺拳法の道場だけでは生活がなりたたないのでね、ある時弟子の一人がね、せっかく建築やってたんだから建築の設計をやったらどうか?って言ってくれたんです。

当時、申請業務っていうのを大工に変わって書く、代案っていうんですけどね、書く人少ないのでそれをやったらどうかっていってね。そこからスタートしたんですよね。まったく知識もなかったしね。

それで設計なんかやっててね、周りが上手いですねってほめるわけですよ。それでだんだん調子にのってきてね(笑)で、1級の試験受けて通って正式に事務所を開いた訳ですよ。

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で、それが32歳の時。それがまた現状に対してもっと何かしたいなって思ったんですよね。それでね、安藤忠雄さんがヨーロッパ建築ツアーの講師をやるっていうのを雑誌でみてね、これはいい、これに参加しようって思ってね、その時車を買おうと思っていたお金をね、その建築ツアーにつぎ込んでいったんですよね。

今思えばそれが人生のターニングポイントだったんですけどね。

お前えアホやなって安藤さんからは言われましたけどね。そこではいろいろと刺激を受けましたよ。

その後3年間で300冊ぐらい本読んだんですね。で、大体まあ、東京にきて建築をやっている人としゃべっていてもそんなにちぐはぐにならなくなってね。

38歳の時に少林寺拳法の道場を弟子に譲ってね、地元の大分市に事務所開いたんです。それでまた次にいこうと思って、都会の福岡に事務所を開いてね、そのあたり自分の意志で能動的に進出したけど、

ただ、今の東京の事務所は東京で仕事が増えてきたので、ある意味では受動的でした。

リファイン建築っていうのはどういうのがきっかけで?

安藤先生とヨーロッパにいった時に、イタリアにベローナっていうところがあって、そこにロミオとジュリエットの舞台になったカステルベッキォという建物があるんですよ、今は美術館になってるんだけどね。

私らが教えられてきた建築っていうのは、一から作っているんですよね、ですが建物のオーラに魅せられるものがあって、、、歴史的な空間の中になにかしら別の要素を突っ込むとこんなエレガントな空間に・・って事を体感してね。そこで感じた事を自分なりに表現できないかなあていうのが大きなきっかけでね。

今、もうリファイン建築を続けて、20年くらい経つんですけどね、いつも建築家としてなにか自分に武器(オリジナリティー)を持ちたいと思っていた。それが私にはリファイン建築だったってことですね。

普通の建築っていうのは、平地に建てるとしてね、何百通りの立て方があるわけなんですよ。でもリファイン建築ていうのはね、現存する建物、築年数、それに向かいあうんですよね、建物の声を聞く、感じる、そしたら回答が見えてくるんですよ。こういうものでないといけないだろうとね、確信。

そういうふうになるとね 深く追求できるわけですよね。あ、それと通常建築っていうのは必然的にその建設する場所に影響を受けるわけですけどね、私の場合おもしろいのはそれだけでなく、建物によって影響を受けることになる。

そこの建物に影響を受けるとね、その建物の歴史性っていうものをよみとりながら対話できるっていうね。だからヒントに溢れていてアイデアが枯れる事はないんです。

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IPSE目黒鷹番

建物をつくるプロセスにおいて、気持ちの面でも波みたいなものありますか?

建築は生き物ですからね、それを考えているってときは、、経済的な問題、法律の問題、近隣の問題、現存する建築物をどうやって再生していくかって悩むときもあるけど、でもアイデアが浮かんだら一気にはしりだしますね。

今、私の建築プロジェクトは15件程が同時進行しているんですけどね。それはいろいろですよ。ものすごくワクワクするものと、ん〜と思うもんもありますし(笑)でもそれをいかに平常心をもってやっていくかってことでしょうね。

街歩いてこれやりたいなあて思うものっていうのは山のようにありますよ。まあそれがワクワクしている間っていうのは大丈夫なんでしょうね(笑)

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IPSE目黒鷹番

リファイン建築の成功と確立するまでのご苦労はありましたか?

常に失敗の連続だったんです。成功って感じられるのはあんまりないですね。ただ、失敗したらそれに対してどう対処するかっていうね、それが上手くできたんじゃないかって思いますね。成功したっていうんであれば、そんな失敗の連続を教訓にできたってことでしょうかね。建築においても、人生においてもね。

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IPSE都立大学

建築家を目指す若者にアドバイスあれば教えていただきたいのですが。

今の若い人は焦る事はなくて、今、目の前の仕事をちゃんとしていくことかな。自分にあたえられたことに関して全投球する。焦った時期も私にも当然あったんですけどね、結果的には良くなかったですね。

今ある仕事っていうのは腰をすえてやっていくっていうのは、人がしっかり評価してくれて、人伝えにいってくれるって事でしょうね。仕事ってね、自分の力量以外のことってこないんですよね。力量っていうのは、建築をつくるっていう力量もあれば、人間的な力量っていうのもあるしね。

すべて含めて、自分の力量って以上のものってこないんですよね。

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IPSE都立大学

これからの夢や目標などあれば教えてください。

リファイン建築っていうのはね、ある瞬間から誰もやっていないって分かったんですよね。私が先駆者てことがわかったんですよね。発表して20年たつんですけどね、今からは若い人にこの建築概念を伝えていきたいっていうのがあります。

どこでもコンクリートの再生っていうのはそんなにないんですよね。だから行脚しながらね、各地にひろめていくのが自分の使命かなあって思いますよね。

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地方で頑張っている建築家っていっぱいいます。地方が元気にならないとねやはり日本は。東京だけがすべてででないしね、

そういえばウラハラ藝大教授にも地方から参加している若い建築家がいるようですね。彼のような人にがんばってもらいたいですね。

(現 首都大学 都市環境学部教授)
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2009年01月12日

負けたらあかん。ライカ専門店 社長・平野芳子

人生の達人/VOL.3

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ライカ愛好家の母がいると聞いて大阪・心斎橋に向かった。有名無名写真家から、各界の著名人まで、ライカ愛好家が訪れる信頼のライカ専門店
株式会社サンエス代表取締役 平野芳子さん だ。
『まけたらあかん!』その言葉に僕は背筋がピンとのびる思いがした。まだまだ現役でライカの素晴らしさを伝えている平野社長。優しい言葉のふしぶしには強いこだわりが取り巻いていた。

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そうねえ、ライカのきっかけねえ、最初はね、ライカを知らなかったんですけどね。ライカがすごいっていうのがだんだん分かってきて。最初にライカで写しておられる方の写真をみて、ライカはすごいなあっていうのがわかりましてね。

戦後60、2、3年たっているでしょう。ライカが戦前からあって、あの古いのね(ショーケースのライカに指をさしながら)、できてから80年たっています。戦前で20年近くでていたんですね。

その時はそんなにたくさんの人が、お値段が高いからね。そんなにたくさんの人が持ってなかったんですけど、たのしいに、それで過ごしてはる関西でいうたら旦那さんがたね。

旦那さんがたが寄り合って、ライカを持って、他にはローライとかあったんですけどね、ライカが一番小型で35mmの原点やないですか。ですから小型で良く写るってことでライカを持つ人が多なったんですよね。それ以前は木製の大きなカメラね。あんなんばっかりだったんでしょう。

戦争にとにかくライカが活躍した、持ってる方がそれを聞いて実際に見せていただいて、ほーっと思ったんですね。その辺がきっかけです。それで私は戦後はファッションの世界にね。ね、暗い時代を過ごしてきたから。その華やかな時代がほしくって。洋裁の学校に行ってたしね。それがばあーと広がって華やかな時代になったんですよ。

そしたら、そのときにやっぱりモデルさんに着せて、写している人がやっぱりライカを持っていてね。そのときもほーっと思ってねえ。で、まあ興味を持ったんですけどね。持つんだったら、やっぱり一番いいのね、洋服でもそうですよね。

なんでも一番いいのを知らないといけないからね。そんな世界におったからねえ。ライカは70年前のだっても今も使えるんですもんね。

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戦後60年たって、他メーカーも同じかっこでカメラつくりましたけど、ライカが今も生きてる、その時代のままのデザインですよ。ちょっとおっきくなったかなっていったもんで、まったくデザイン変わってないんですよね。

たいしたもんですねえ。それにも感銘しましたね。番号がね一番からずうっと通しナンバーなんですよね。

型が違いますけどね、番号はずうっと追い番なんですよね。でね、いまでねえ、ボデェが300万くらいですわ。それでねレンズがね、広角とか望遠とかありますけどね、それ全部おんなじ番号ないですからね。400万台ですね。まだ400万台ですよ。だから、いかに少ないかね、だから精密にいかに作っているかってことでしょうね。

日本人はいいものをいっぱい残しています。でもカメラだけはそういうのないからねえ。やっぱりライカ社には負けますね。そっからはじめってんですからね。

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戦後からですからね、だから昭和27年からですからね。えっ?歳はいっちゃあ、駄目ですよ。私働いてるから若う見えるだけでね、ほんとは歳いってるんですよ。

まあ、言いますけど、昭和の年と一緒(笑)分かるでしょ。

戦後ね、我々女性は着るものも強いられていたから、華やかんがほしかって、でいち早くね、で洋裁ね、一番華やかなのやっていたからね、でそこでねやっぱりライカが活躍したんですよね。だから35mm伴のカメラで大判に匹敵する写真が撮れるってすごいですよ。

ライカはねだんだん年、年数がたってくるたびにレンズがいいって分かってきましたね。だから奥深いですよ。そのときそのときの特色もあってね、この時のレンズはこういうふうに写るなってそんなものも面白いですよ。だからライカにはまってしまうお客さんがいるのはそういうことなんでしょうね。そりゃあ、こんな話し聞いたらみせられますでしょ(笑)

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お商売のこだわりですか?そうですねえ、若い方を支持してますね。みなさん、そのとき若かった方なんてね、今や偉うなってますよ。そうですね、高校から来ていたりとかね、わざわざ遠くからね。本当に有名なってる人多いんですよね。みな、好きなんですね。写真好きなんですね ライカ以外だったら写真が嫌になってたかもしれませんよね。

でね、学生でいらしてね、お金たりないんだけどなあってね、でもいいよおってね。また次あったときでいいからってね。そういうね、接し方をしてきた人が何人かいますね。そういう人はね、やっぱり好きなんですよね。おつきあいですよ。おばちゃーんって、来てた人なんかも今はもう大先生なんかになっておられますけどね。

若い方がそう熱心にね、ほしそうにとか、使いたいとかね、これをお使いなさいってね、若い人だからこれからですからね、それはいつでも頭にあることですけどね。なんでもそうだけど、写真だけではなくてね、そりゃいいことだと自分で思ってますよね。

まあライカで良かったかなあとかね、最終的にはこれでね、他にもやってたことあったんですけどね、もったいないって言われた事もあったんですけどね、この世界に入ったら ここでは、私は一所懸命です。他の事考えてません。

負けては駄目。そう自分のこだわりにね。そうでしょ、なんでも。それに勝たなきゃ、しんどいとか、体がえらいとか、こんなの辛気くさいとか、そんなん思てたらできませんからね。みなさんに喜んでいただいたら、なんか良かったなあってね、いいものを商売させていただいているなあって一番思いますね。

せっかくお商売してんのに、なんや三流くらいの、やっぱりそこから入った方、不幸やと思いますよ、私は。いいものをやっぱり宣伝して、させていただいている事けっこうやと思います。だからみなさんもいいものをみつけられたらいいですよね。

負けたらあかん。

一所懸命生きているほうが、でしょ、夢中になっていきてるほうが、いいじゃないですか、私はまわりの子どもらにいうんですけどね、なんでも一個だけ、一番になってみなさいって。学年の中でも真ん中にいたらね、人生真ん中だけよって。だから一つだけ覚えたらね、何もえろならなくてもね、いいから。これでやっぱ上に立ついうことはいいことだってね、一つだけでいいからね。

だからライカでもそうでしょ。いいものが身につく。いいものを見る目が養われるっていうね。ねえ、人よりも豊じゃないですか。うちらこういったカメラ売ってますけどね、でもねよかったなあって思うのはね、誰にも負けないカメラって事でしょ。

この間もね、ライカの社長さん来られました。(ドイツ本社より)ここみにね。今の社長さんはね、努力家なんです。だから新しいもんもどんどん作って、いきますーいわれていましたから、いい事やなって思います。
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2009年01月05日

大澤陽子教授より、今年の鑑定と一月の鑑定です。

★さあ2009年もスタート致しました。大澤陽子教授より、2009年そして、今月一月の鑑定をいただきましたのでご紹介しましょう!何か良いヒントになればと思います。

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今年もよろしくお願いします。今年の鑑定と一月の鑑定をします。

平成21年は、九紫火星己丑(きゅうしかせいつちのとうし)の年です。(正確には、年明けは旧暦なので、二月四日からですが…)

今年は、ズバリ『新しいエネルギーをたずさえた、戦国の野燒…のやき』の年とです。あらゆる分野で、戦国時代(配役交替)に突入します。政治では、政権交代はもちろん、政党をこえた新しい思想が生まれそうです。高度経済成長期の価値観がネット社会のなかで、形を変えて、復活する可能性があります。昭和の歴史を振り返ってみるのも吉です。

経済は、不況というよりは、お金の流れ方が変わります。つまり、お金持ちが貧乏になったり、貧乏がお金持ちになれたり、不思議な現象が起きる可能性大。

この激動の一年を乗り切る最大のキーワードは『コミュニケーション』です。仕事でも、プライベートでも、『きちんと話し合いさえすれば、素晴らしい導きがあったのに…。』ということがやたらと多くなります。

 普段の会話からパソコンメールに至るまで、『一方的』なコミュニケーションにならないように気をつけましょう。こだわりが強すぎて、頑固だったり、ステレオタイプの人種は、実りが不十分になりやすい一年です。

また、国民全体を慰めるような、歌が数年ぶりにヒットする可能性もあります。しかしながら、今年二月と五月は、日米関係をはじめ、日本には大きな変動が予想されます。また、東西に五黄、暗剱がかかるので、九月は国連の動きに注目です。日米、中国、韓国、ヨーロッパは、いっぱいいっぱいで、この時の助け星になる国は、インド、カナダです。

さて、今月の鑑定です。一月は六白金星乙丑(ろっぱくきんせいきのとうし)の月です。

ずばり『本筋強化…ほんすじきょうか』の月です。

いろんな事に翻弄されがちになりますが、二月を前に、腰をすえて今年一年の準備にかかりましょう。キーワードは、『振り返ってみたらまだやっていない宿題』 …。みなさん、一つはあるでしょう?ほんすじなのに道草くってしまてること…。

政治や経済、エンターテイメント…。すべて、今月は、『貯まった宿題を清算して、再スタート』の月です。自分の本筋を見定めて、スタートラインへ立ちましょう。。宿題さえしておけば、焦る必要はありません。

by 大澤陽子
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2009年01月01日

謹賀新年・開校1周年!

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新年あけましておめでとうございます。
また、ウラハラ藝大も開校して1周年。
共同通信社からの取材も開校から1年、2009年に向けてということで取材を受けました。

今日から2009年。

ますます感動のドラマを創っていけるウラハラ藝大を目指してガンバって参ります。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

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http://www.47news.jp/movie/general/

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☆共同通信社・47ニュースよりscreenshot

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